2016年7月1日金曜日

水木さんの本を買ったら


人生をいじくりまわしてはいけない、というヘンな本を買った。
水木しげるファンでもないのに。
人生をいじくりまわすのに、もうくたびれちゃったので、
ワラをもつかむ心地である。
いまのまんまでいいの? そうするとどうなるの、とききたい私だ。

さっそく電車の中で読む。優先席・・・。
電車はガラガラ。前の座席に、品のいい古典的なおじいがいる。
すごく暗い顔が、ひきつっては、ぎゅーっと下を向く。
何度もそうする。
痛そうに左の脚を縮めて、ギュッと細い太ももをわしづかみして、時々うめく。
代わりに、痛いところをきちんと掴んであげられたらなーと思う。
でも断られるにきまっている。

あきらめて、というか失礼にあたるし、また「人生をいじくりまわしてはいけない」を読む。
つつじヶ丘でこの電車は橋本行きの急行待ちをする。

病気で背丈が縮んだのかもしれない、向かい座席片隅のおじいも降りるのだろうか。
黒色のソフトをきちんと被り、チャコールグレイのズボンの先の皮靴は黒、コートも黒。
横に置いたリュックのベルトをつかもうとしては、つかみ損ねている。
中腰であんまり儚く(はかなく)ふらふらするから、
遠いんだけど、ついこっちから手をさしだしてしまった。
「なんですか?」
いやな顔をしてそう聞かれた。

「おてつだいしましょうか?」
怒らせたくなくて小声で言ったら、びっくりしたことにいい顔になって笑った。
「けっこうです」という声も、私をこわがらせないようにゆっくりだし低い。
誇り高いがゆえに一見強面(こわもて)のこのおじいさんは、おそらく親切な人なのだ。
・・・リュックを苦心のすえに背負い、両手の杖で身体を支え、
「日本の品格」は、つつじヶ丘のプラットホームのどこかに消えた。
ズボンの上、膝裏のあたりに、白くて四角いパップクールが貼ってあった。

プラットホームに降りて急行を待つあいだも、私は読書続行。
ところで、というべきか、すると、というべきか。

向いのホームの階段の前に、準備体操をしている初老男性がいるのである。
高価そうな運動靴に紺色のスポーツ着、メタボに励む。
読んでいる本のせいか、今日はヘンな老人ばかり見つけてしまう。
故・水木さんの推薦なのかどうか、浮世離れした人があそこで体操をしている。
なんでも、こっちの端からあっちの端へウサギ跳びして最後にボールを蹴るのだ。
それを新宿行き快速を待つあいだくりかえすって、ヘンじゃない?
プラットホームでそんなこと、オカシイんじゃないの?
階段の端までウサギ跳び、着くとボールを天井にむけて蹴るなんて?!
まてよ、これは絶対水木さんの影響による自分の誤解だ。
私はとてもそそっかしい。だから。バッグの中のメガネをさがした。
ほーら、なーんだぁ、駅の階段の飾りがステンレスの小玉だったのよ。
まさかあの人が直接ボールを天井向けて蹴っているはずがない。
私って世の中を誤解しながら見ているのだ、相当な近視のせいで。

でもプラットホームで寸暇を惜しんでウサギ跳びなんて。
官僚主義的中間管理職だった人?

こうなるともう一回、奇妙な年寄を探さないではいられない。
二度あることは三度あるはずと思って。

そういえば、 私がいる側の橋本行のプラットホームにだって、
ウクライナ発みたいな牧歌的な老人夫妻がいる。
自然態で仲がよさそうなのが、今どきめずらしい。二人ともいきいきと元気。
立ち止まると、双方が微妙に傾いて二頭辺三角形的台形になる。
おなじような古ぼけたブーツ。年金生活者らしい身なり。
夫は古くて黒ずんだ赤いリュックサック。妻は布製の手提げ。
私は離婚して自由だけど、こんな夫婦なら結婚しててもいいのかなー。
どうかなあ。

ちなみに水木先生(ご自分をそう言う)は、奥様と幸福に添い遂げられた方である。