2014年3月24日月曜日

星野和正という俳優・「陸軍」


「二十四の瞳」に続いて「陸軍」を見た。
木下恵介監督が戦時中につくって、戦意高揚にならないと批判され、それだからこそ今も
注目されている作品である。

何気なくツタヤからDVDを借りて、画面に現れる出演者の名をながめていたら、、
星野和正とあった。ヒロイン田中絹代の息子の役である。
・・・まさか、あの私の知っている星野さんなのだろうか!
そういえばあの人は子役だった、それも有名な、とむかし誰かに聞いたのではなかったか。

戦争が終わって、安保闘争も終わり、私のようなはんぱな者(1943年生まれ)は、
ただウカウカと大学を卒業、それで劇団民藝に入って、
「ああ野麦峠 」という芝居に配役され、日本中を一年かけて旅公演でまわったのだが、
その群衆劇の出演者のなかに星野さんがいたのである。

 「陸軍」のラストシーンは映画史上有名である。

子役としての星野さんの、映画「陸軍」における入隊のシーンを見ていると、
胸がいっぱいになり、浮かんでは消えてしまう面影に見入って、
涙が拭いても拭いても、とまらない。
スクリーンに映る男の子は、その在りようが、私の知る二十数年後の星野さんそのもので、
映画の名監督というのは、こんなふうに人の本質を見抜いて配役するものなのか、
弱く気持ちのやさしい子どもが立派に成人して、
母親のいう『天子様からお預かりした子をやっとお国にお返しできて』、
その日、南方に送られるため、広場を抜け、何百の新兵の一人として行進してゆく・・・。

少年は名をよばれて、ついには群衆のなかに自分の母親を見つけ、
つつましく無邪気な、笑顔ともいえないような、微かに微かにうれしい顔をするのだ。
そしてスクリーンの星野さんは、
田中絹代の、母親とはいっても、どこか少女のような美しい目線からついにはずれて、
連続する軍靴の音とともに軍隊の行進の中に姿を没してしまう ・・・。

何年も前に亡くなった星野さんとの、今度が、本当のお別れのようだった。

私の知る星野さんは、まじめな目立たない人で、
ひとを傷つけることのまったくない、穏やかな中堅俳優だった・・・。
日本中どこへ行く旅でも、自分のクルマを運転して移動する、それがめずらしかったけれど、
・・・それにしても星野さんのクルマはとても地味で、
持ち主とおなじく、けばけばしいところなど一切なかった。
たぶん星野さんは、芝居の小道具などを自分の車に乗せて運んでいたのではないか。

劇団の研究生だった私は、そのころ気持ちの不器用で目立っていたし、
なにかと問題児で、生意気という印象だったから、
努力はしたけど、旅公演にともなう集団生活は時にくるしかった。
旅先の公演地につくと、あの頃の民藝の場合、えらい人はべつとして俳優が舞台をつくる。
裏方もやるのである。ある日舞台で地がすりを敷きながら私が、
天井で幕を吊っている裏方の誰かに、オーイなんて冗談を言っていたら、
トンカチで大道具を固定していた星野さんが、
「ツンっていうのは知れば知るほど、わかればわかるほど、 大好きになるような子なんだね」
と言った。

働く人間にとって、自分以外の人とうまくいっていないと悲しんでいる女の子にとって、
こんなにうれしい評価というものがあるだろうか。
どこか遠い地方の暗い舞台の地がすりの上で、そんなふうに言ってくれた先輩が、
今ごろになって初めて観た名画「陸軍」の、あの星野和正少年だったなんて、
なんて申し訳ないことをしてしまったのだろう。
なにか特別わるいことをしたということではないけれど、
失礼なこともしなかったと思うけれど、
出会った人のうしろに隠れている、その人にとってだいじな歴史にまったく無関心だった、
そのことが自分ながら、なんとも言えずわびしく思われてならない。

さようなら、星野さん。ごめんなさい、星野さん。