2014年3月25日火曜日

団地の総会のこと


鶴三会はいいなあと、最近考えたりする。

3/26 団地の総会。不安な雰囲気、
各種企業で優れものだったろう人の発言が続くので、けっこう・・・こわい。
理事会も総会も、もともと資産管理をムネとして規約ができているのだそうで、
頼もしい仕掛だと10年以上も住んで実感しているが、
ではあるが、コンピューターのことも、建築のことも、修繕積立金・銀行預金防衛の詳細も、
ぼやっとしか自分はわからない。女はそれでいい、だまって任せていたらいいからと、
心底、思っているんだろうな。
これで議長が、鶴三句会の雄、季語のデパート、親愛なる平野さんじゃなかったら
さぞかし緊張が溶けなかろう。

各議案ごとに議長が賛成大多数を報告。ついで反対数、棄権数も必ず報告する。
これなど本日は賛成数がわかればいいのでは、というのが感想だ。
時々刻々、反対と棄権が孤立させられていく仕掛けはダメだ。
少数意見に気をつかうべきである。 延々と全員一致なんだから。
(この日の総会で、棄権と挙手した勇気ある人はたった一人)
こんなありさまを不自然だと思う人はいないのかしら。
いないんでしょうね。時間に迫られているという強迫観念があたりを睥睨しているのだ。

ここが鶴三会 なら、ダメもとで、感想だけでも私は言ってみるだろう。
反対されても、そうかと受け入れるつもりだし。
ところが総会だと、なにか言ったらバカにされそうな気がしてしまう。
意見を言うまえから、自分が間違えているような気にさせられるのだ。

雰囲気がおかしい。
日本の会議には、間違える権利がない 。
これが結果としてキリキリと民主主義をしめあげているのではと思う。

全員一致ばっかり続くのは、おかしい。
棄権する勇気すら自分にはない、そのことがどうも気にかかる。
・・・反対意見はジャマだろうしなあ。
時間がない、じかんが、じかんがないんだよ、きみ。
でも私だってバカかもしれないけど戸主なんじゃないの。
98世帯のマンションのひとつを自分で買ったんだから、みなさんと同じく。
その平等感がほしいと思うのである。
しゃべりたいんじゃない、基本思想が会社経営的・上意下達的で 息苦しいのだ。

 けっきょく会場は、平野さんの柔軟さをもってしても、硬い雰囲気だった。

おもしろいことが、どうやらひとつだけあったかな。
理想と現実の衝突といえばまー無難かしらん。
細田さんと宇田さんが、植栽がらみの質問および異議申し立てをしたのだ。
私はこの二人の個性的・植木屋的けんか腰のファンだから、
これじゃ勝てないよ、いや勝つ気もないのかしらとハラハラ、いやい贔屓目じゃなくて。
そうだそうだと密かに考えた人はこの日の会場にだってけっこういたのではないか。
地球の植物や生物をどうとらえるかについての討論なのだ。だいじなことだ。
けんかはやめて仲良くやりましょう、と片づけられててしまうには惜しい衝突なのだ。
納めなくては総会が終わらないといわんばかりの決着がくやしい

鶴三会ならば、のんびりと思うままに、思うことは言える。
非常識はとうらないし、良識がゆっくりと受け入れられていくのである。
おなじ2時間 なのに。