2014年3月5日水曜日

過失交通事故裁判


松戸裁判所に出かけて、傍聴。

横断歩道を歩いていて、森本さんはクルマに跳ね飛ばされた。
首の骨が折れ、脊椎損傷となり、脳梗塞を起こし、
呼吸は苦しく、手足は不自由、寝返りも打てない人になった

苦しみ、悲嘆、不自由、不如意は森本さんを襲っただけではない、
彼の家族をがんじがらめにもした。彼をひとりにしておけないから、
裁判が終わると、奥さんか娘さんが走るように目白の自宅に戻るのである。

松戸裁判所はツルツルに光っている。
ガラスも廊下も廊下の椅子もきれいだ。
自動ドアもエレベーターも空調も無音ぴかぴかである。

私は胸をうたれた。
初老の裁判官のまったく深みのないヘチマ顔に。
若いめがねの書記官の満足そうな血色のよい顔に。

わるいけど反感を感じた。
税金ドロボーと言ってやりたかった。
給料のよさそうな、なんの同情もうかんでいない淡々とした彼らの顔。

不幸を裁くとき、
こんなにも無考えのままで、しあわせそうでいいのか。
疑問をもたないままでいいのか。

「庶民」の不幸をよく知る機会がないのなら、
病院や日雇いのボランティアを裁判官や検事の義務にしたらどうか。
せめて真面目に哲学書を読んだらどうか、自己満足に水さすために。

検事は早口。
弁護士も早口。
あっというまに、森本家の地獄を引き起こした自動車事故が語られて終わる。

調書を朗読するだけというこの形式の、
なんて非論理的であることか。
被告の弁護士は損害保険会社の論理を使って被告を弁護している。

自動車と自動車が事故を起こせば、
ぶつかった双方の運転手にそれなりのペナルティが課せられる。
森本さんは歩いていたのだ、横断歩道を歩いていたのに、

事故にあった場所が横断歩道の先ではなかったかと、
そればかりをなぜ被告の弁護士は問題にするのか。
裁判官よ調書を読んだなら、

前もって調書を読んでから法廷の一等席に着席というのが順序ならば、
保険会社の汚い論理をだらりと採用する弁護士に、
キミの文章は非人間的すぎるとあなたは指摘すべきなのだ。

調書をきちんと読みなさいよ。
それぐらいの仕事はしたらどうなのよ裁判官、と私は思った。
こんなそらぞらしい形式的な裁きに、

みんながただ順応しなければならないなんて・・・。