2015年5月26日火曜日

鶴三句会、吟行


吟行の試みがあって、少し遅い春、一本杉公園の金蘭と銀蘭を、七人でたずねた。
吟行とは、俳句をつくる遊歩であろうか。

私たちの句会は、野を歩いて俳句をつくることに向いていると思う。
列強というとおかしいが、なにしろ細田さんと宇田さんが鶴牧三の植栽の人、
金蘭銀蘭にしても、うちの団地の日蔭に小さな旗をたて、ここにあると教えて下さる。
アキニレの木と土中の菌ともうひとつ、三拍子そろわないと咲かない花である、
という説明なんかも実際的で科学的。当然私たちの頭は予備知識でいっぱいである。
ちなみに、条件が難しすぎるからこの花は盗んで持って帰っても咲かないよ、と。
そういう花が一本杉公園に咲いているのを見学して作句、という日。 

写真を撮る専門家みたいな小林さんと加賀谷さんが存在するのも、楽しいと知った。
私どもの近所周辺の住宅や小公園 の樹木や花々を、ガイドつきで見て歩くようなもの、
何十年住んでいたってそんなことしないでしょう、ふつう? 
小林さんはその日も自転車だったけれど、まーなんだってかんだってご存じだ。
トムハウスで防災マップを作成したような人だからなのかしら。

思うに吟行というものは、あとの句会がとても楽しいのである。
現像された写真を手に自分以外の人の句をきけば、
過ぎてしまった時間がイキイキとよみがえる。
ままならぬ人生の一部を、何人かで確かに生きたという実感がある。

しかしまあ、そうは言ってもですよ。
歩くことはつらい。帰りながら周辺地域を見学したころはどうなることかと思った。
後藤さんが万歩計を携帯、吟行の終わりに今日は一万歩になったとおっしゃって、
パッパッとすぐに暗算、慣れた口調で「七キロは歩いたことになりますね」と。
そうするとこういう俳句になるのもわかりますよね。

金蘭を求めて歩む一万歩     後藤

七キロも歩いたなんて。俳句はよめなかったが私としてはある種の達成感を獲得した。

私は用心して一本杉公園までは、先生にくっついて歩いたのである。
腰痛のある三國さんなら、ほかの人みたいにポンポン歩かないだろうと思って。
ところが三國さんってけっこう速足、平気な顔をしていたもののたいへんだった。
最初にお話がきけたのはトクだったかもしれない。
三國さんが三國さんの先生から教わったという吟行の心得というか初歩は、
「なにかを作ろうというのではなく、対象が向こうから語りかけてくるまで待て。」
なるほど。向こうから。・・・きんらんとぎんらんから?
でもどうせその場で作句なんかできはしないと、ネガティヴな私としては最初から悲観的。


ほーらね。
ちいさい羽虫のジージーいう鳴き声が気になるばかり。
土の色合いや小笹や、草の弦が小さな花にからまりそうなのが気になるばかり 。
思った通り、金蘭も銀蘭もただもう金蘭と銀蘭であるばかり、
俳句なんて無理だ、「沈黙」という漢字ばかりがチラチラする、ああ、やっぱりだ。

・・・あとになって句会で考える。
ところがこういうことのすべてが楽しいのかもしれないと。
お手上げだったのはなにも自分一人ではない、それも面白いし豊かな話なのじゃない?
私があとから一生懸命になって考えた俳句、否、俳句らしきものが、
同じ目的と時間をもったほかの人の描写に補われて、あの日の思い出は今も新鮮だ。
複合的といえばよいのか、吟行とは不思議である。


金蘭や宇宙の謎を寂として   黎明に光り放てよ銀の蘭
                          
                        (私って目の前の自然がいちいち苦手。)