2021年4月28日水曜日

手塚治虫の不屈

だんだん時間がたくさんになってきました。
みなさん、おげんきですか?
私もどうやら、巨大サンドイッチづくりに慣れて、
まあ1時間半もあれば、ブラックコーヒーといっしょに、
たとえそれが6時だろうが、8時だろうが、午後のなん時でもかん時でも、
にこにことテーブルに用意するようになりました。
これってボケ防止だっていうけど、しかしホントかなー。

それがいまいち信じられないので(こんなの単調ですもんね) 
いつ買ったのやら全然わからない本を読む。
手塚治虫著「ぼくのマンガ人生」1997年。
手塚さんの死は1989年2月9日。
この岩波新書は、最後の著書、晩年の手塚さんの講演をまとめたものである。
小学校時代の友人と、妹さんと、苦境を引き受けた友人葛西健三氏の談話が、
読者に「読み甲斐」というものを与えている。

生きるということ、仕事、家族、実にわかりやすい手塚治虫の思想。

思い出せば。
手塚治虫が死んだ時、私は桜上水の家でくらしていました。
この新書版が発行された時、この本は同居の継母に届けられて、
当時は読む人もいなかったのでした。

私が多摩市の今の家に引越したのは、忘れもしない2001年9月11日。
ニューヨークで世界貿易センタービルが崩壊した日でした。
引っ越し荷物をほどいていなくて、実況中継を観そこなった私ってマヌケの見本。

おととい、
手持ちのビデオで「12・12・12」というドキュメンタリーを観た。
2012年12月12日、マディソンスクエアーガーデンで決行された、
大津波に襲われたニューヨーク市民救済のための、
ポール・マッカートニー以下、英米ロックミュージシャン参加の大イベント。
アメリカ、2001年から11年後の不屈である。

いま見るとこの津波は、なんと福島を襲撃した津波にソックリであることか。
2010年福島の津波と原発の爆発。2012年のニューヨーク市の津波による崩壊。
あのころ、これこそが地球の同時多発的な運命だとは、
人間にむけて大海原(地球)が示した応答そのものだとは、私は思わなかった。

21世紀となると、超弩級の天才手塚治虫はもういないけれど、
こんどこそ私は、彼がいたらどう言ったか、ということではなく、
自分としてはどう対処すべきかを、襟を正して考えたいと思う者だ。

生きるということ、仕事、家族、それから自分なりの不屈。