2021年8月15日日曜日

敗戦の日

 新聞の一面に俳句が掲載されている。
東京新聞の企画記事、平和の俳句に投稿された作、
71才の中林さんが詠んだものである。

裏口を開けて子を待つ敗戦忌

71才というと、もはや戦後の生まれなのに、こうもまざまざと
戦死というものを語る素養はどうして生まれたのだろうか。
中林さんが幼少期を過ごした長野県小川町に彼女の伯母さんは住んでいて、
そこに次男照次さんの遺影があったけれども、
・・・伯母さんの子を待つ思いは、その時はわからずにいた。
まだ子どもだったから。
彼女がその過去のできごとをきちんと知るようになったのは最近である。
親族が、親類たちがみんなでまとめた追想集を読んだのだ。

彼女の大きい従兄にあたる照次さんは1945年6月6日、
鹿児島県知覧の陸軍特攻基地から沖縄に出撃、そのまま21歳で戦死した。
追悼集に書かれていたのは、
戦争が終わってから何年ものあいだ伯母さんが夜も家の鍵をかけなかったことだ。
死んだ子が、万が一にも帰ってきたとき入ってこられるように。

中林さんは、伯母さんから戦争の話を聞いたことがない。
親族によって編まれた追悼集が、
息子の帰りを待ち続け、戻らないことを納得するまでの伯母さんの苦しみを
遠い年月の果てから教えたのである。
そのことが、どんなに苦しんだろうかという思いを、
今はもう71才になった人に届けた。

伯母さんはとうになくなってしまい、もうこの世にいない人だけれども。