2013年9月16日月曜日

引越し・仏壇とか遺影とか


病院にいる人の代わりにケアハウスをさがしたのだが、さいわい行く先があって、
入院先から直接(健康になって)転居させる手はずも整う。

病院と本人と家族のあいだをつなぐケース・ワーカーが
私どもの事情のあるがままを察して支えてくれたからこそである。
ほんとうによくも「出来ない相談」にのってくれたと思う。

「出来ない相談」とはなにか。

私たちの努力が実るまで周到に待つということである。
病院からなるべく早く出て行け、という立場に立たないことである。
ばらばらに千切れた患者の家族を
それなりに「信頼してみようか」と考えてくれることである。

これこそ本当に「出来ない相談」ではないだろうか。
すくなくとも、ふつうに暮らしているとき、
私はそう感じていた。

引越しの手はずを整えることができた頃、
娘がオランダから帰国、
「お母さん、とにかく二人でまずお父さんのマンションに行こう」
様子を見て、できるかぎり先に片付けておこう、というのである。
それまでは、8月31日、ひでこちゃんと3人で掃除をすませて、
夕方引越しやに会い、料金の見積もりを二社に出してもらおうという計画だった。
彼の妹のひでこちゃん、離婚した妻である私、外国ぐらしのながい娘。
ひでこちゃんは病気でゼイゼイ、ハアハア、
私は「わかれた夫にはぜったい会いません」、
娘は一ヶ月だけの日本滞在、
なんかこう、やってられないよ、いいのかなあという組み合わせ。

それでまず8/29、遥の時差ボケがおさまった後、まず二人で出かけたのだが、
本当にそうしてよかった。
難病をかかえるひでこちゃんがあんな部屋に入ったら死んでしまう。

ゴミの集積・・・・。
彼のゆめの跡・・・コンパクトな仏壇がほこりをかぶり、
その上に、かつて私の舅姑であった彼の両親の遺影が、
小さい額に入れられて、あった。
並んでこの部屋で起きたことを見ていたあの人たち。

私ってこのふたりが好きだった。
なんだか気の毒でたまらなくて、私は額を仏壇から引き離し、
となりの部屋の本棚の上に立てた。
ふたりが成仏できず今もここにいるにちがいないという気がした。

おかしなことだった。
私は無宗教、無神論であるのに、
現に今を生きてどんなにか苦しんだにちがいないかつての夫より、
写真立てのガラスの中から、
長男の惨状の一部始終をただ傍観するしかなかった亡き舅と姑が、
これではいつまでも極楽浄土へ旅立てないだろうと、
それが気の毒なのだった。