2013年9月6日金曜日

敦賀の市長さん


内橋克人さんの講演を、福島の原発が大事故をおこした直後、大船で聴いた。
それは井上ひさしさんの追悼の夕べだった。大江健三郎、なだいなだ、そして内橋さんが
話した。

つい最近、なんの気なしに内橋さんの本を手にとった。
そこに、故・高木孝一敦賀市長の「原発講演会(地元の広域商工会主催)」における
講演の記録があった。この講演は1983年に行われ、一時、ネットに流布、
有名になったものである。
当時の私はインターネットを使いこなせず、この敦賀市長の考えというものを、
ぜんぜん知らなかった。

高木さんは九十三才で心不全のため亡くなり、お葬式は2012年6月5日だったみたい。
4期16年の市長さん。大往生。
高木さんの息子さんは衆議院議員の高木 毅さんである。

いま講演記録を読むと、
選挙とか、投票の重みを、子孫に対する責任とはどんなことをいうのか、まざまざとわかる。
いったい自民党は高木さんをなんで公認したのだろう!?





1983年1月26日、石川県羽咋郡志賀町にて。
        (敦賀市長 高木孝一氏の講演の記録)

 只今ご紹介頂きました敦賀市長、高木でございます。えー、きょうはみなさん方、広域商工会主催によります、原子力といわゆる関係地域の問題等についての勉強会をおやりになろうということで、非常に意義あることではなかろうか、というふうに存じております。……ご連絡を頂きまして、正しく原子力発電所というものを理解していただくということについては、とにもかくにも私は快くひとつ、馳せ参じさせて頂くことにいたしましょう、ということで、引き受けたわけでございます。
 ……いわゆる防災義務と称するものは、(原子)炉の周辺から2キロないし3キロというところは、やはりそうしたところの(防災)体制を固めなさいと。こういうふうなことでございます。あるいは住民は避難道路をつくろう、とか。あるいはまた避難場所をつくろうとか、こういうふうなことで、私どもに対しましても、強くいろいろ申し出があるわけでございます。けれども、抗議もくるわけでございますけれども、ま、私は防災訓練もやらない、と……。もうそんな原子力発電所は事故があったら逃げまどわなければならない。あるいは避難しなければならない、とういうことになったら、もうそれで終わりなんだ。そんなことはゼッタイあり得んのだ、というふうに、自分も、私どものいわゆる住民も、あるいは私も、そういうふうに思っておるわけでございます。
 一昨年もちょうど4月でございましたが敦賀1号炉からコバルト60がその前の排出口のところのホンダワラに付着したというふうなことで、世界中が大騒ぎをいたしたわけでございます。私は、その4月18日にそうしたことが報道されましてから、20日の日にフランスへ行った。いかにも、そんなことは新聞報道マスコミは騒ぐけれど、コバルト60がホンダワラに付いたといって、私は何か(なぜ騒ぐのか)、さっぱりもうわからない。そのホンダワラを1年食ったって、規制量の量(放射線被曝のこと)にはならない。そういうふうなことでございまして、4月20日にフランスへまいりました。事故が起きたのを聞きながら、その確認しながらフランスへ行ったわけです。
 ところがそのフランスでも、送られてくる日本の新聞に敦賀の一件が写真入りで「毎日、毎朝、今にも世の中ひっくり返りそうな」勢いで報じられる。やむなく帰国すると、こんどは大阪空港に30人近い新聞記者が待ち構えていた。
 悪びれた様子もなく、敦賀市長帰る。こういうふうに明くる日の新聞でございまして、じつはビックリ。ところが敦賀の人は何喰わぬ顔をしておる。ここで何が起こったのかなあ、という顔をしておりますけれど、まあ、しかしながら、魚はやっぱり依然として売れない。その当時売れない、まあ魚問屋さんも非常に困りました。あるいは北海道で採れた昆布までが……。
 敦賀は日本全国の食用の昆布の7割ないし8割を作っておるんです。が、その昆布まで、ですね、敦賀にある昆布なら、いうようなことで全く売れなくなってしまった。ちょうど4月でございますので、ワカメの最中であったのですが、ワカメも全く売れなかった。まあ、困ったことだ、嬉しいことだちゅう……。
 売れないのには困ったけれども、まあそれぞれワカメの採取業者とか、あるいは魚屋さんにいたしましても、これはシメタ! とこういうことなんですね。売れなきゃあ、シメタと。これはいいアンバイだ、と。まあとにもかくにも倉庫に入れようと、こういうようなことになりまして、それからがいよいよ原電に対するところの(補償)交渉でございます。
 そこで私は、まあ魚屋さんでも、あるいは民宿でも、100円損したと思うものは150円もらいなさいというのが、いわゆる私の趣旨であったんです。100円損して200円もらうことはならんぞ、と。本当にワカメが売れなくて、100円損したんなら、精神的慰謝料50円を含んで150円もらいなさい、正々堂々と貰いなさいと言ったんですが、そうしたら出てくるわ出てくるわ、100円損して500円欲しいという連中がどんどん出てきたわけです(会場に大笑い、そしてなんと大拍手?!)。
 100円損して500円もらおうなんてのは、これはもう認めるもんじゃない。原電の方は、少々多くても、もう面倒臭いから出して解決しますわ、と言いますけれど、それはダメだと。正直者がバカをみるという世の中をつくってはいけないので、100円損した者には150円出してやってほしいけど、もう面倒くさいから500円あげる、というんでは、到底これは慎んでもらいたい。まあ、こういうことだ、ピシャリとおさまった。いまだに一昨年の事故で大きな損をしたとか、事故が起きて困ったとかいう人はまったくひとりもおりません。まあ、いうなれば、率直にいうなれば、一年に一回ぐらいは、あんなことがあればいいがなあ、そういうふうなのが敦賀の町の現状なんです。笑い話のようですが、もうそんなんでホクホクなんですよ。ワカメなんかも、もう全部、原電が時価で買(こ)うてしもうた。全部買いましょうとね。そんなことで、ワカメはタダでもらって、おまけにワカメの代金ももらった。そういうような首尾になったんです。
 (原発ができると電源三法交付金がもらえるが)そのほかにもらうおカネはおたがいに詮索せずにおこう。キミんとこはいくらもらったんだ、ボクんとこはこれだけもらったよ、裏金ですね、裏金! まあ原子力発電所が来る、それなら三法のカネは、三法のカネとしてもらうけれども、そのほかにやはり地域の振興に対しての裏金をよこせ、協力金をよこせ、というのが、それぞれの地域であるわけでございます。それをどれだけもらっているか、をいい出すと、これはもう、あそこはこれだけもらった、ここはこれだけだ、ということでエキサイトする。そうなると原子力発電所にしろ、電力会社にしろ、対応しきれんだろうから、これはおたがいにもう口外せず、自分は自分なりに、ひとつやっていこうじゃないか、というふうなことでございまして、たとえば敦賀の場合、敦賀2号機のカネが7年間で42億入ってくる。三法のカネが7年間でそれだけ入ってくる。それに「もんじゅ」がございますと、出力は低いですが、 その危険性……、うん、いやまあ、建設費はかかりますので、建設費と比較検討しますと入ってくるカネが60数億円になろうかと思っておるわけでございますが……(会場に感嘆の声と溜息がもれる)。
 で、じつは敦賀に金ケ崎宮というお宮さんがございまして(建ってから)随分と年数が経ちまして、屋根がポトポト落ちておった。この冬、雪が降ったら、これはもう社殿はもたんわい、と。今年ひとつやってやろうか、と。そう思いまして、まあたいしたカネじゃございませんが、6千万円でしたけれど、もうやっぱり原電、動燃へ、ポッポッと走って行った(会場にドッと笑い)。あッ、わかりました、ということで、すぐカネが出ましてね。それに調子づきまして、今度は北陸一の宮、これもひとつ6億円で修復したいと、市長という立場ではなくて、高木孝一個人が奉賛会会長になりまして、6億の修復をやろうと。今日はここまで(講演に)来ましたんで、新年会をひとつ、金沢でやって、明日はまた、富山の北電(北陸電力)へ行きましてね、火力発電所をつくらせたる、1億円寄付してくれ(会場にドッと笑い)。これで皆さん、3億円すでにできた。こんなのつくるの、わけないなあ、こういうふうに思っとる(再び会場に笑い)。
 まあそんなわけで短大は建つわ、高校はできるわ、50億円で運動公園はできるわねえ。火葬場はボツボツ私も歳になってきたから、これも今、あのカネで計画しておる、といったようなことで、そりゃあもうまったくタナボタ式の町づくりができるんじゃなかろうか、と、そういうことで私は皆さんに(原発を)おすすめしたい。これは(私は)信念をもっとる、信念!
 えー、その代わりに100年たって片輪が生まれてくるやら、50年後に生まれた子供が全部、片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、いまの段階では(原発を)おやりになったほうがよいのではなかろうか...。こういうふうに思っております。どうもありがとうございました(会場に大拍手)。

私が読んだ本は
「日本の原発、どこで間違えたのか」 朝日新聞出版、2011年である。
224ページから234ページにこの講演は載っている。