2012年10月22日月曜日

佐渡へ 1


さそわれて、本間家の家族旅行に、ただくっついて、佐渡が島へ。
淑人さん、美智子さん、息子の智人くんと、そして私。
東京から自動車で300キロ以上も走るのである。
新潟港で大佐渡丸というフェりーに乗り換え晴天の日本海を渡る。
佐渡の港で自動車をとりもどし、淑人さんの実家をめざしてまた走って行く。
今回の彼らの旅は、美智子さん側(中島家)の葬儀に関する本間家への報告と御礼、
亡くなったお母さまを供養し新たな思い出をつくる・・・それが目的である。

そんな家族の旅に、面白いわねと、私がなんでついてきちゃったのか。
空気のような存在になれればとは思うけど、そんなの無理だ。
私はいつも空気を攪拌して大騒ぎしながら生きている。ゆうれいみたいにはなれない。
つくづくジャマだろうなーと心配がつのってきて、フェリーの上でひそかにさかうらみ。
みっちゃんはともかく、淑人さんがなんで反対しなかったのかわかんないわよ。
お墓参りだけならともかく、本間家のご実家をまずは表敬訪問という・・・。
それって淑人さんの場合でいうと、なんでも「神社」がご実家なのである?

佐渡が島は東京23区の1・5倍の面積。
電力も食料も島内自力でまかなえているはずときいてびっくり、
ホントなの?とうらやましくて、思わず、
「それなら佐渡が島独立共和国にすればよかったのに!」
引っ越したい。東京電力のない国へ行きたいのだ。
「・・・むかし、そういう話もあったみたいだよ」
ハンドルをにぎる淑人さんが言う。
国分一太郎さんがおなじようなことを言っていたのだっけ、と父の笑い声を思い出した。
「とうほぐ ずぅんみん きょうわごぐ(東北人民共和国)・・・」
東北人の国分先生と父・堀江正規は日教組講師団の、仕事仲間であった。
「井上ひさしの吉里吉里人の話もそうかしら?」
淑人さんにきいてみると、
「うん、そうかもしれない、読んではいないけれどね」
「そうよねえ、あの本、長いし重たいしさ、ふつう読めないわよねえ」
まー私はこの家族が好き、かならずやおもしろい旅になるのだろう、
畑、畑、軒の低い瓦屋根、瓦屋根、なだらかな畑と電信柱の連なりを見ながら、
ああ、佐渡かあ、佐渡にきたんだなあと、たとえ一人だけ異邦人であっても、
それはのんきなものなのだ、やっぱり。

到着したのは、農道のわきの入り口、
柿や棗や金柑、柚子の木のあるところに畑があり、
畑にはほうれん草や大根や、家族に必要な分の野菜が並んで育っている。
敷石に導かれて歩いて行くと小さなお池があり、そこには鯉もくらして、蛙もくるのだろう、
その先にひろがる庭をあたためている日の光と風のなんというのびやかさ。
むこうに五葉、三葉の松ノ木が、庭を囲んで数本まばらに立っているのも古典的、
ヤツデ、百日紅、梅の木や楓、萩の花々、昔あったあらゆる木々が無言で風に揺れていた。
・・・秋なのだ。
そういう庭先に、静かな玄関をおいた家。
私がなんにも知らずにたどり着いたのは、さかのぼれば室町までというような神社の、
淑人さんのお兄さんの正人氏があとを継がれた「実家」なのであった。

なにもかもが、私を魅了した。
ゆっくりと行われる家族同士の消息話、道を越えた先の畑の傍らのお墓での正人氏の祝詞、
熊野神社での、八百万の神様方にささげられ神道の儀式。
それらは本間家の生活と共にあって、いかにも自然であり、いかにも美しかった・・・。