2012年12月13日木曜日

多摩市民塾・地震の日


多摩市民塾の私のクラスでは、いよいよみんなが、
自分で選んだ作品を朗読する段階となった。

味わいの深い面白い練習。
提出された作家の文章を、予習するとき、
ああ、私たちは同じ時代を生きたのだなあと、つくづく思う。
どう朗読するべきか、どんなに頭をヒネってもいい知恵が浮かばないもの、
(友人たちに朗読してもらいディスカッションもしたりして備える)
私がついつい敬遠していた作家の格調の高い立派な文章や、
うわあ、よくこれを見つけたものだと嬉しいような名文、
いずれも高齢者の多い市民塾ならではのゆたかさだと思う。

今回は、
高村光太郎の迫力気力度胸満点の詩、「冬が来た」の朗読があって、
朗読者は弱々しげな白髪のほっそりとした婦人だったから、
詩と朗読する人の印象のちがいにおどろいて、
茨木のり子作の、詩人の評伝があったっけと思い、
「うたの心に生きた人々」を家にもどってから読んでみた。
なるほどねえ。高村光太郎ってやっぱり大詩人だったんだ。
あらためてそう思うことは、うれしいことだった。
この小さな本には、光太郎のほかに与謝野晶子、山之口獏、金子光晴の肖像が、
きっぱり、いきいき、あざやかに、元気よく浮き彫りにされ、修められている。
ーちくま文庫(1994年)

おなじ日、「私が一番きれいだったとき」を朗読した人がいる。
詩人茨木のり子の作品である。
この有名な青春の詩を朗読したのは男性であった。
病気の人で、病気だということをちっとも隠さない人で、
彼の朗読をきくと、いつも私は「努力」というものの優しさを思う。
・・・日々の、おだやかな、素直そのものの、不屈の・・・。
私の不備なレッスンを理解しようするこの人の親切に、私はいつもおどろく。

「茨木さんはいきいきと反抗的な魂をもつ人だったでしょう、
ですから、元気に明るくということを年頭において朗読してください。」
明るい声をテーマに始めた練習だったからそう頼んだが、
朗読をきいて胸を衝たれた。
少女であった詩人が、戦争のあいだに失った時間、
いくら悲しんでも絶対にとりもどせない、人生、というもの。
明るく、張りのある声音で、それはそうしようとしながら、
彼は、時間を失ったこと、手がとどかなかった望みがあったこと、
とりかえしがつかない時間をすごしてしまったこと、
すなわち私たちの生命の喪失そのものについて、説明したのである。

    わたしが一番きれいだったとき
    わたしはとてもふしあわせ
    わたしはとてもとんちんかん
    わたしはめっぽうさびしかった

    だから決めた できれば長生きすることに
    年とってから凄く美しい絵を描いた
    フランスのルオー爺さんのように
    ね

それはとてもよくわかる朗読だった。


この日は、講座のあとが忘年会だったけれど、
府中駅の7階レストランで地震に遭遇。
どうなるのかしらと、お隣さんにぐらぐら揺れながら聞いてみたらば、
井上 靖の「西行」を朗読したその方が、いかにもそれにふさわしく落ち着いて、
「いや、ここは最上階ですから、一階や二階にいるよりはいいですよ」
「いいって、ど、どういうことですか、それは?」
「いや、下のほうよりましでしょう」
そうかもしれないけれど、そうじゃないかもしれないじゃないの。
「大丈夫でしょう、たぶん」
男の人たちはニコニコしている。
「ま、飲んじゃおう!」とこれは私。
一応センセイだから図々しいことである。
まあとにかく・・・などと言いながら、
みなさんのご好意がとてもうれしい、印象的な忘年会でした。
ほんとうにどうもありがとう。