2013年2月12日火曜日

老後


早朝ゴミを捨てに行った。
行く道で、そこのヤブに百舌(もず)がチョンチョン飛んでいてうれしい。

ゴミを捨てる金網のハコのところで、同じ団地のお名前を知らない人に遇う。
若い気持ちのいい顔立ちの美人である。
「今朝は寒いですねえ」と言うと、今夜また雪になるかもしれませんという返事。
にこにこしている。
「きのうの新聞にあんまり寒いと雨から雪になるって書いてありましたよ」
「ほんと」「ええ、こまりましたねえ」「うわあ、それで今朝はこんなに寒いのねえ」
朝一番に出合ったった人が穏やかな彼女でよかったと思いながら引き返すと、
左手の道路上に、向こうの棟の初老のご主人が、ゴミの袋を片手に姿をあらわす。
この方もじつに気持ちのいい表情の持ち主で、お名前は知らないけれども、
なにかのおりに行き会うと、なんだかとてもホッとする。
「おはようございまーす」と言えば、即座に「おはようございますっ」
まことにケチくさくないしっかりした声がかえってくる。本当にあたたかい気持ちになる。

もどる道にはまた、百舌が今度は場所をかえてチョンチョン、ガサガサ。
よく来てくれたなあと思う。

あんたは百舌かしら、ジョウビタキかしら、どっちだろう。
モズが枯れ木で鳴いている、というから百舌は冬見て不思議じゃないし、
ジョウビタキも夏どこかに飛んでいってしまうけれど、
冬になるとそこいらへんの人家ちかくにいるという。
どうしてあんたはモズになり、あんたはジョウビタキになったのか・・・、
柄はそうちがわないのに。
私はこういうことを、こどものために買ったけど、彼らが全然使わなかった小学館の
古いこども図鑑をとりだして、調べてひとりごとを言うのである。

ああ老後ふう。
亡くなった姑を思い出す。
「どうしたら、お姑さんみたいな人になれるのかしら?」
私がきくと、
「なれるわよ、私なんか普通だから」
いつもそう言ってわらっていたっけ。
姑みたいな自然な人になれたら、と私はいつもいつも思っていたっけ。