2013年2月23日土曜日

真夏の太陽(劇団民藝)


劇団民藝の「真夏の太陽」を見る。
複雑な観劇。
個人的な思い出が二重三重に交差するというヘンなことが起こった。
ふつう私はきわめて単純であって、
過去と未来が心のなかで、なんていう複雑思考型じゃない。
・・・ところが、である。

民藝が「真夏の太陽」やってるからさあ、見に行かない?

そう言ってさそって下さったのは田辺健之氏であった。
かつて私が「疎開保育園物語・君たちは忘れない」の中に書いた人物である。
彼は童話の主人公にもなった。
「ガラスのうさぎ」の著者高木敏子さんがお書きになった、
「けんちゃんとトシ先生」がその本である。
1945年3月10日、東京大空襲の日、下町の田辺家は一家全滅。
4才だった健ちゃんがひとり生き残った。
この子は埼玉県桶川の疎開保育園にいたから助かったのである。

一方、劇団民藝の「真夜中の太陽」は、集団劇で、
2013年のいま、83歳の老女となったかつての女学生ハツエが主人公である。
東京大空襲の3月10日、彼女はミッションスクールにかよう15才の少女だった。
同級生は全員が、教師の誘導にしたがい防空壕に逃げたがために壊滅、
逃げおくれたハツエがただひとり生き残る、それが今日観る劇の設定なのである。
「久保さんの出版記念会でさあ、日色さんがあの本を朗読してくれたんだよね」
にこにこと人懐かしい笑顔で健ちゃんがプログラムを渡してくれて言う。
そういえばそうだった。むかしそんなこともあったなあと思い出す。

主人公ハツエを演じたのは日色ともゑさんで、適役好演。
彼女をかこんで、デビューしたての新人女優たちが、
ミッション・スクールの生徒15歳を演じている。
私も大学を出たあと、しばらくのあいだ、この劇団民藝にいて、
こういう形式の芝居がデビュー作であった。
「ああ野麦峠」で15歳の工女に配役され、一年中、旅公演をしていたのである。
そして、そこに日色さんが出演していたのだから・・・、
日色さんにとってはよくある話だろうけれど、
劇団をやめて、ヘンなことばっかりやってきた私のほうは、
むかしの自分を虚構の中で見ているよう、
なんだかおかしな時間が実感をともなわず、ふわふわと流れたのだった。

デジャビュ、ではないけれど。
奇妙な体験・・・。
ああ、あのころ舞台で、自分たちはこんなふうに見えていたのか、
製糸工場の原始的なストライキに破れて、雪の野麦峠を越えて故郷に逃げていく、
「おのぶ」という少女役の私は、絣のおんぼろ着物に手甲脚絆という装束。
若い女の子がたくさん出るって、こうなのかー。

「真夏の太陽」の主人公とおなじような運命を生きた田辺さんは現在74才。
「おれとおんなじだからさあ、日色さんが演じるハツエさんはさあ。
だから、語り継ぐ責任ってことをどう思っているのか、知りたくてさあ。」
と健ちゃんは私に言う。
「保育園の福地先生なんかがよう、日本ではじめて園児疎開っつこと考えてくれたんだろ。
ひきとって育ててくれた叔父さんとか、いろんな人に助けられてさあ。
おれなんかはさ、それでもらった命だもんな。」

そういう田辺さんといっしょに劇場の座席にすわって、一時間半。
・・・私は、だからこの日、
健ちゃんの目を借りて、この劇の進行と主張、結論を考えたわけであった。
彼の立場で、東京大空襲で殺された15歳の亡霊たちについて考えたわけであった。