2013年4月10日水曜日

「迷走の時は」を準備する


ライブをやる、ときめてからアッというまに時間がたった。
あたりまえだ。
公民館のホールを借りようにも、抽選が一ヶ月まえなのである。
抽選に落ちたらライブはやめる。ゲットできたらライブ強行。
そんなムチャな。

でも抽選で幸運にもきれいなホールをゲット。
じゃんじゃん準備。

楽しんでもらえるかどうか、心配になってきちゃって。
こういうプログラムでいいのか。
自分の思い込みでやっていいのか。
異年齢の交流スタイルで?
お客さんを20代から80代までさそっちゃった!
集まってくれた人たちの時間をムダにしちゃったらどうしよう?
愉しくなかったら?
無意味だったら?

雨宮処凛著「ロスジェネはこう生きてきた」2009年を読んだ。
岩波ホールでイタリア映画「海と大陸」2011年を観た。
ロスジェネってロスト・ジェネレーションのことですって。
迷走の時はどうせよと、彼らは考えているのだろう?
ふーっ、雨宮さんの真似は自分にはとてもできない。
うーん、ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞をとったほどでも、
無回答なんだ。たとえば難民問題に。

私はライブに「迷走の時は」とタイトルをつけた。
新聞4月9日一面の見出し
「福島第一・水漏れ貯水池継続・規制委使用容認・代替案なし」
脅かすのも脅かされるのもいやだけど、
安心だ、地球はこのままでOKだとは、とても思えない。

最近、迷子という言葉をよく見る。

宇宙全体ということを考えれば、アッというまであっても、
自己感覚でいうと、
私がみぎもひだりもわからない子どもだったのは、遠いむかしである。
考える時間はいくらでもあった。
おとなが自分を迷子だというのは、おかしい。
迷子は子どもがなるもので。

あまったれたくなくて「迷走」。
「迷走の時は」。
どうしたらいいのか。
まずはいわれなき自己否定の網の目から、
脱出できるチャンスをつくりたい。
上質と信じる幸福な一日を創ることで。
みんなと。

私の今どきのライブ主催にみるユメである。