2013年4月17日水曜日

ライブ「迷走のときは」終了!


野田さんが、彼女は裏方を引き受けていたけど、
50人を越すほどの方が会場に、
それから家での打ち上げに30人の方がみえたのだと教えてくれた。
30人も入る大邸宅?・・・いやいや、
すきまなく床に座った人も、台所で立ちっぱなしの人も多かったから。
ライブが終わると、どこにあるかよくわからない私の家まで、
約15分かかって春のなかを歩いて移動してくださったみなさん、ありがとう。
それから案内してくださったみなさん、
若い森さんなんか息子の先輩で友人だけれど、
私が頼んじゃったら、バイクを唐木田に置き去りにして、
それで歩いて、お客さんを家まで連れてきてくれたのだ、ごめんなさい、
そしてほんとうにありがとう。

・・・翌日、はやばやと感想のお手紙がとどいた。
「何ゆえにあれだけの人達が集まって感動を共有できたのでしょうか」
人寄せをする目標ってなんといってもそれだから、
むくわれたと喜んでしまいました。

・・・時間がたつにつれて、考えた。
共有の根源は、やはり「ことば」だったと。
朗読と弾き語りの会だもの、それはそうなのだ。

ことばを細心の注意を以て選ぶこと。
表現する人たちの感受性が、集まって聴く人たちと同等であること。
人の世に対する理解力。
親切さ。
いいかげんじゃない論理。
そんな感じがほの見えること。

そういうだいじなものは、今ではどうも個人的にしか存在できない。
存在しないから創るし、探す、迷走の時。
私たちふつうの人間が。
プロじゃないシロウトで。
でも、
私が出演をお願いした人たちは、
ただものでもないわけで。
やっぱり場数を
ふんだ
人たちなのだ。
出演してくださったみなさん、
ご協力ありがとうございました。

小さい会だった。
それゆえに、
集まる人の個人としての暖かみもまた、
おたがいによく伝わったわけだと思うのです。