2012年3月17日土曜日

文字化けの日の顛末


朗読の日。
「あれはいったいなんだったんですか」ときかれた。
私がブログに書いた文字化けのような一日の話である。
きかれると思ったあ。あんなもの読んじゃったら、
いったいなんの試験を受けたのか、
それでアンタは試験に落ちたのか合格したのか、
そこが知りたいと思うのがやっぱり人情だ。
「教育相談委員の試験だったけど落っこちた」
心理学専攻じゃないと応募しちゃいけなかったらしくて。
「あ、応募資格で・・・?」
「そうだと思うのよ、書類選考でパッと最初から落ちたの」
それとも私の論文に呆れたのかしら。
彼女はあははと笑った。笑ってくれてうれしいな。私は自分も笑ってしまった。
「心理療法士か、そうじゃなければ臨床ナントカの証明書が必要なんだって」
「要項に書いてなかったんですか?」
「注意ぶかく読むヒマがなかった、そんなことしてたら書く時間がなくなる」
すすめてくれた人だって、もしかしたら大丈夫かもと言ってたし。

落ちてもいいのだ。みっちゃんと、けっこう愉快な一日だったもん。

二十歳ぐらいのとき、名優の北林谷栄さんから、いろいろな話をたくさんきいた。
初めて劇団の試験を受けた日、俳優になりたい北林さんは、
あんまり試験の内容がくだらないから、
「なんだこんなもの」
と試験用紙を、ビリリと真っ二つに破って帰ってきちゃった、と私に言った。
「こんな問題をだすようなとこなんか入ってやるもんか!」
俳優が騙る、もとい語る話である。迫力満点、私は目をまるくした。
試験をする側が偉くて受験する側は選ばれるだけ、と思い込んでいたので、
ものすごく驚いた。信じられない思いだった。
勉強ができなくて責められっぱなしという身には、こっちも選ぶんだという気概はない。
北林さんは十代にして、すでにその根性というか気概をもっていたのである。
だから芸術家になったんだ・・・・。

私は北林さんみたいな人間ではないのだから、
うらやましくても、気持ちがそんなふうに動いてはくれなのだけれど、
このエピソードはながく心にのこった。
そういう選択肢をまったく持たない自分と、自分同様であろう日本の子どもとが、
なんだか貧相に思えてならなかった・・・。
なぜ自分たちは、こういう自由な、気概のある人間じゃないのだろうか?
教育まみれの頭がいいヒト(たかい方にいる)が決める試験。
これから学ぼうという人間(ひくい方にいる)の純粋無垢なこころざしや、
希望や理想や感受性をくみとる意志など、まるで存在しないかのような強者先行型。
そういうところからスタートする教育って、いいんだろうか?

よくはない。たぶん、おかしいんだとおもう。

それだから、私の朗読の部屋では作品を撰んだ人の、実感の再確認から出発する。
今回は、エーリッヒ・ケストナーの少年小説「飛ぶ教室」
茨木のり子さんの、少女ふたりをうたった詩と
美輪明宏訳詩による仏蘭西のシャンソン「アコー ディオン弾き」・・・。