2012年4月12日木曜日

天変地異ー引き裂かれる判断


こどもを二人づつ連れて、若い母親が訪ねてきてくれた。
ひとりは家族と放射能をさけて、遠くへ引っ越すのである。
もうひとりは東京にのこって、ここで生きていくのである。
この運命の裂け目をまえにして、なにを言えよう?
どうすることがよいと?

私にはこどもが三人いる。
ひとりは東京から逃げたほうが、と迷い、
ひとりはもう何年もまえから外国でくらし、
ひとりは幸福は自分の場合、東京にしかないと迷う。

私は、
沈黙も、よくわからないという振りも、
おとながしないものであると思いたい。

DVDでドキュメンタリー映画を観る。
「オーシャンズ」前編。フランス。
副題をー海に生きる生命たち-という。
ジャック・ぺランが制作し、監督し、ナレーターも、俳優だったぺランだろう。
この映画の「解説」を借りて、なんとか考えてみたいと思う。

・・・陸の生物より三十億年もまえから海には生物がいて、
・・・原始、海は生命にあふれていたと、映画は語りおこす。
生命にあふれているということが、どんなに解放感をもたらすものか。
どんなに気持ちがよく、どんなに幸福で、どんなに自由か、
ああ、どんなに、そういう人生が充実して美しいものであるか、
これほどよくわかる映画もめずらしい。

ナレーターが語っている。
「ひとしずくの海の水も世界中を旅してまわる。海の流れが
海水を表層から深層へと運び、北や南へと送り、冷水を暖
水とまぜる。その流れを知らない海の生き物は、大海原を
生き抜くことができない」

この映画はすこし前に作られた。いや例えそれが2011/3・11当日完成したとしても、
この科学的現実を、まちがいだと言うことなどできはしない。
したがって、私たちの国が、海に放水した大量の放射性物質は、世界中を旅してまわ
るのだろう。アメリカも、ロシアも、フランスも中国も、おなじようなことをやっているじゃ
ないかといったところで、3・11の原発事故が、地球に対する致命的な犯罪行為であ
ることにかわりはない。
東京をはなれて、北海道へ行こうと九州へ行こうと沖縄に逃げようと、時間差が多少
あるだけ、解決にならないのではと私は想像する。
世界の広さというものがよくわからないにしても・・・・ひとしずくどころではない膨大な
量の汚染海水が、日本列島はむろんのこと、世界中を旅してまわるのだ。

日本政府は、放射能まみれの瓦礫を日本列島各地に「配布処理」する方針である。
4月3日は暴風大しけ大雨が各地を襲って日本中を引っかき混ぜたが、
なんとかスポットはどうなったろう?

3・11以前はどうか。
今ほど目立たなかっただけ。
海は、原発がうみだす汚染水の捨て場にされてきた。
原子力を使う発電をせめて即刻停止するべきである。
全生物の存続にとって待ったなしの危険だからである。
原発は暴走する。手がつけられない。

海岸からはるか離れた外洋にいるシロナガスクジラをカメラが写しだす。
そうだ、シロナガスクジラというものを私は絵本で知ったのだった。この絵本を朗読し
たのは障害のあるこどもの若い母親だった。彼女が、いちばん好きな本はこれです、
とみんなに話したのをおぼえている。だから、画面のシロナガスクジラを私は親しみを
もって、眺めるわけである。

地球最大の動物であるこのクジラは、30メートル、120トン。
心臓は600キロ。
舌がゾウ一匹の重さ。
ヒレは小型の飛行機ほど。
もういなくなってしまった恐竜のような。

シロナガスクジラはひっきりなしに主食の栄養源をさがしている、と映画は言う。
むりもない。いったいどれほどの分量を捕食すればよいのか? 
そこでオキアミが登場する。
シロナガスクジラは一日に4000万匹のオキアミを食べるのである。
それでもいなくならないのだ、オキアミって。

映画のオキアミであるが。
オキアミのあかい群れを見て思い出すのは、レオ・レオー二の絵本「スイミー」だ。
このあいだ、むかし幼稚園を卒園しておとなになった女の子が、渋谷文化村のおみや
げに、ステキな「スイミー」のカードをプレゼントしてくれた。
その女の子のお母さんが、朗読を教えて以来の私の友達だからである。
レオー二は、もしかしたらこの映画を観て、絵本を描いたのかしら?
太陽の光をさえぎるほどのオキアミの密集・・・・オキアミは敵から逃げようと、群れの真
ん中に逃げ込み、ふしぎな形をつくりだし・・・・シロナガスクジラのほうははもちろんこの
群れをひと呑み・・・・。私はレオー二の絵本の、一匹だけちがうオキアミのチビを思い浮
かべる。群れまいとするただ一匹のチビを・・・。
群れないチビと、逃げおくれたチビと、大群のなかに身をかくすチビと。
この大海原にあって、どのオキアミが生き残るかを、しかし誰が知ろう?
それはオキアミの場合、運命がきめることなのである。

いったい人間も、そうなのだろうか?
原発の爆発を前にしても?
オキアミのチビのように、逃げ切る者もいるのだろうか?
むかし三十万頭もいたというシロナガスクジラは、
人間の乱獲によって絶滅寸前だけれども。

三十万頭という数を三十万人になおすと、
加賀乙彦さんの「不幸な国の幸福論」2009年 の数字を思い出す。
日本人の三十五万七千八百五十四人が(2008年までの)十年間で自殺。
加賀さんは書いている。
「日露戦争の戦没者数は約八万八千人。
日本は六十数年一度も戦争をしていない平和な国だと誇ってきたけれど、
これでは三年に一度、日露戦争をやってるようなものでしょう。」

日本の民は、いつも、戦争がなくても苦しい。
苦しくて、早く命を捨て、可能性を葬るひとがあとをたたない。
しかし、である。