2012年4月28日土曜日

絵を買ってしまった


What did you do last week ?
英語の宿題である。
あなたは先週なにをしましたか。
私は絵を買ったのである。
衝動買いのことをimpulse buying っていうのですって。
絵を買ったのはこれで三度目、とくに美術好きでもないのに、
私ときたらビンボーな時にかぎって、魅入られて?絵を買うのである。

初めての買い物は、十九世紀、オノレ・ドーミエの石版画。
岡山。二十代である。
劇団民藝の旅公演の途中のことだった。

ドーミエ展の、石版画ばかり並ぶせまい画廊の壁の途中に、
腕組みをした老婆がバルコニーに立っている絵があった。
スカーフであたまをかくし、げっそり中空を眺めている部屋着姿。
まるで北林谷栄と細川ちか子を足して二で割ったようなこの人物!
私はたちまち、劇団を代表する大女優ふたりの、ヘンテコリンで奇妙奇天烈、
洒落てチャーミングな舞台および日常の姿かたちを思いうかべ、
うわあドラマティックとはこのことじゃないかと、その絵を眺めた。
そのころの私の日々は、舞台に朝から晩までかかわる下っ端生活。
絵を見るにも、神経が劇状態になっていて、舞台を見るように眺めたのだろう。
19世紀の人間だからといってなんだろう。
フランスは巴里のクソ婆あだからって、どうだろう。
私は年がら年中、舞台の上の「外国」や「外国人」を呼吸し、
舞台上の過去や未来の「人生」と、若い自分の人生とを、
あらゆる手段でつなごうとしていた。

ふらりと一人で入った画廊であったのに、
ご主人が親切にも、お金はともかくお買いなさい、と絵を渡してくれ、
うわぁっうれしいと宿屋にドーミエを抱えて戻ると、
「旅先で借金をしちゃいかーん!」
演出家の宇野重吉先生がコワい顔になり、
絵を見てあきれて、オレが払っといてやるからと、代金をもたせてくれた。
「いいか、劇団の会計に毎月、千円でも五百円でもいいから返せよ!」
買ったけど、
四千五百円が俳優教室の生徒たる私の月給だったので、
借金を払い終わるまでがものすごく大変だった。


二度目の買い物は、大山郁夫夫人、大山柳子の「静物」。
画家九十才、ソコヒの手術が終わった直後、最初に描いたという作品だった。
しかし絵は買っても、自宅がモルタル・アパートの六畳、
部屋に距離がないと、絵なんか壁に懸けても観賞できないわけで。
油絵って遠目で見なくちゃ見えないのかー、みたいな生活の柄。
でも、その生活の柄が苦しいから買っちゃったというのが、私の複雑というか。
貧乏が苦しく、三人の子どもがどう育つかもよく判らず、
アルバイトみたいなことばっかりし、童話を書いてもあとが続かず、
ルポルタージュも誰かの代筆も、生活を支えるところまでいかない。
あの不定期収入のヤマサカは思い出してもコワイようだ。

でも、この「静物」を描いた人は九十才。
眼の手術をしたのだ。なんて勇気があるお祖母さんなのだろう。
いまから五十年もたったとして、私は、眼の手術をしようと思うかしら。
栗や、柿や、梨、木の枝や葉っぱなんかを、こんな心で受とめるなんて。
いったいどうすれば、私もすこしはマシな人になれるのだろうか。
こんなにもあたたかく大喜びして自然を思う人間に?
こんなにもすっきりと子どものようにいきいきとした人に?
・・・ダメだ、私はいい人間じゃない。自然なんかにどうしても興味がもてない。
無限につづく、おそらくものを書く上での、つまづき。
お先マックラで苦しいばかりの私は、なんというか、
未来の人格を保証してくれるもののように、「静物」を買ったわけである。
二冊目の聖書でも買うように。


「月」は、わかい友達、私の息子の友人が描いた絵で、
それを私は coolies creek とかいう高輪白金の、レストランで見た。
クーリーときいて苦力という文字が頭にうかび、ああ日雇い人夫の入り江か、
それにしても、白金なんてお洒落なところで。
ちょっと地理が難しそうで電話をすると、そこはインドネシア料理の店だった。
cool はクールなのであるから、まちがえる私がヘンだけど、
そういう個展会場の設定、仕様のすべてが、
私の知っている、絵描きの箕浦建太郎、らしくも思われた。
その日、三階建てのどの階の壁にも懸けられていた彼の絵は、
いかにもそのレストランと渾然一体、調和するように配置されていた。
雨がなかなか降り止まない、昼間から暗い、静かな日だった。
それらの絵を、簡素なcoolies creek の雰囲気とケンカしないように置いた彼は、
どこどこまでも画家であり、
絶対感覚において、自分に不当なほど厳しい人間なのだろうという気がした。

・・・ぼくの頭は水をいっぱいにくみ上げたつるべとおなじでした。
ちょっと首をかたむけただけで、なみだの水がこぼれるのです・・・。
ー「海のコウモリ」 山下明生作 理論社ー
そんな緊迫感にみちみちて美しい「月」という絵は、
描かれた絵の子どもが、私のよく知っている若い母親たちの、
記憶の底の底に沈んでしまっている「沈黙のようなもの」とそっくりで、
しかも幸運なことにその絵はまだ売れていなかった。

ワタシ、ビンボー二ナッタ、サイフハ、クウキョデス、
英語で、宿題なんだから、そう言うと、エドワード先生はプッと笑い、
インパルスバイイング ね。ショッドガーイ のことね、と解説した。
とんでもないことをしたので落ち込んでしまったけどよい買い物ではありました。
と、すらすら英語で言えないのがホントにこまる。
いつもそう。