2012年4月24日火曜日

ばんざーい 32万筆!


今日の朝刊に書いてあった。
32万筆 署名有効(34万5491筆のうち93・5%が有効)
「原発都民投票」条例制定請求へ。ー東京都選挙管理委員会発表ー

市民グループ 「みんなで決めよう『原発』国民投票」 が必死の大運動を展開。
石原知事に条例制定を請求できることになった。
知事さんは請求文書に意見書をつけ、
たとえばですね、「わずか2%が言うことだろ聴くに及ばんよ」、みたいな。
でも、日本はいくらどうでも法治国家なんだから、ルールは健在。
知事なら請求にこたえて条例案を都議会に提出、そこで論議しなければならない。
ばんざーい!
市民グループの今井一事務局長は言っている。
「誰が原発の再稼動を決めるのか、誰が責任を取るのか、
本質的な議論をするチャンス。
都議会には堂々とした議論を期待したい。」

そうよね。これは素晴らしいチャンスだ。
署名数だってね、34万筆5千なんとかだけれど、
みなさんのなかには、どこでどうやってるかわからなくって署名しそこなった、
という人も多いでしょう。
私なんかも、手遅れ寸前になってから署名簿にお目にかかる始末。
ろくにお手伝いもできないうちに締め切りになっちゃって残念だった。
でも、そんなふうでも、東京都民32万5491人が有効署名をしたのである。
今からでもいい、署名を続けられたら、どんなにいいだろう。
32万筆。なんだこんなものと言う暴言を聞きたくなくて。

しかし、都議会に堂々とした議論を期待したい、と言うんだけど。
都議会議員に議論をまかせるなんて。期待も悪いけどなんだか。
そういう感じ・・・・でふわふわするのが自分としてもこまりものだ。

どうせ数で負けるし。
党利党略の伏魔殿なんだろうし。
もとから政治がイヤだしキライだし。
頼れそうな議員なんかいるのかい、こわいみたいだ。
こういうダメなことを考えちゃう。

その通りだとして、どうするのかということである。

私たちはまず自分自身が、たとえ「堂々と」じゃなくてもいいから、
一度ぐらいギロンしてみる必要があるのではないか。
だれとでもいい、話してみて、自分で自分の考えをシッカリさせる。
議員に議論してもらうまえに、自分の気持ちをまずハッキリさせるのだ。
それぐらいはするもんだと思う。
だって、そこをサボると、せっかくの期待がモヤモヤ下がってしまう。
自分の考えがきまらないのに、いったいどうやってなにを「期待」するのだ。
離婚したいか離婚したくないか、自分の気持ちを自分に隠して、
無表情なまま、裁判所にどうにか決めてもらおうとしたって、
スカッとした答えが返ってくるはずもない。
自分の考えや気持ちをハッキリさせることが、今こそとてもだいじだと私は思う。
期待し、支持する自分が、目的を支える人になるのである。
議員じゃないんだから、理路整然としゃべれなくたっていい。
人前で発表しなくたっていい。ドアの中にいたっていい。
でも考えることをサボるのはよくない。

本質的な議論とは、なんだろうか。
福島原発の事故に関して。
責任は野田首相の言うように、「国民全員」の連帯責任なのか。
それとも政府および東京電力の責任なのか。
責任者はなんのためにいるのか。誰だったのか。
原発の再稼動を、今の政府に決めてもらっていいのかどうか、

これは、いのちにかかわることなのだ。