2012年11月12日月曜日

 11月11日のデモ


百万人規模のデモになるべきだと思っていた。

警視庁の発表では八千人だった。
警視庁は六十年安保の昔からウソをつく、だから八千人ということはないだろうけど、
三倍としても二万人。五倍としても四万人。
私の感じでは国会周辺に、五時前後だと流動的ではあるが五万人はいた、
というより参加したろうと思う。
なにしろ雨が降り出して、それがだんだんびしゃびしゃになり、
傘をさしてもレインコートを着ても濡れてしまう。
濡れてもいいと思ってる人も大勢いる、見れば警察官だってみんな濡れて、みんなが
やっぱり放射能をあびているのである。このすごい人ごみと混雑のなかで。
デモは制限された歩道をズルズルと前方へ進む。
国会を取りまいて。権力者の横暴と原発再稼動に反対して。
なんという悲劇だろう。

二日前、主催団体の都合だとかで恒例の金曜デモはお休みだった。
それを知らなくて、ふらっと一人で国会議事堂前駅で降りたら、
黄色い袈裟がけのお坊さんたちが太鼓をたたいて、
見たら反原発の垂れ幕をよこに拡げている。
時間がはやすぎるのかなとこまっちゃって、石垣に腰掛けていたら、
だんだんに人がふえてきた。
それでも、その日集まった人数は少なかった。
ある金曜日には二〇万人をこえる人たちが国会を囲んでいたのに、
おとといは警官と装甲車ばかりが目についた。

一度でもがんばって金曜日のデモに参加した人たちが、
今日デモに参加しないからといって、考えを変えたはずもない。
今日ここにいなくたって、彼らはデモの仲間である。
どうしてかって、行けばわかることだけど、
金曜日のデモはいろいろなことを私たちに教えるのだ。
そこには自分にけっこうよく似た、ひとり参加の人がいる。
そういう人が大勢いる。連帯ってこれだと感じる。
勇気のある人があっちこっちからきてマイクの前で話すけれど、
考えていることはあんがい自分とおなじで、
原発の事故というものがいかに恐ろしいか、事故の収束についての悩みが、
疑う余地のないギリギリの恐怖と悩みなんだと、みんなの悩みなんだと、
そのことが具体的にわかる。
さまざまな地方からやって来た人の口から、直接きく、驚くようなニュース。
反原発意識は、自分の家にもどって一人になったからといって、変るもんじゃないのだ。

それでも、
百万人のデモが実現しなかったことがすごく残念だ。
権力のやりたい放題は、百万人があつまらなければストップしないだろうと思うから。

なんで東京都庁は
11/11日比谷公会堂を貸さず、反原発集会を妨害したのだろう?!

追記
12日東京新聞夕刊によれば、デモの参加人数
主催者側発表だと100、000人。

3時からと5時からと。だいたいこんな数字になるかと思う。