2012年11月23日金曜日

光りほのか


光りほのか、とはアンネ・フランクの日記につけられたタイトルだった。

菅谷 昭先生の「チェルノブイリ診療記」をもう一度読んでみたら、
・・・・まさに、自国の政府を信用できないくらい惨めなことはない・・・・とあった。

菅谷さんは甲状腺専門の医学博士だ。
1996年から5年半、ベラルーシに単身滞在。
首都ミンスクの国立甲状腺ガンセンターと、ゴメリ市の州立ガンセンターで、
甲状腺ガンにかかった子どもたちの治療にあたっていた。
大学病院をやめた退職金をロシアでボランティアしてつかってしまい、
帰国後胃がんを手術、手術直後の2004年、わが国の松本市長になった人である。

惨め、と読んで惨めかと思い、私たちはどのくらい惨めなんだろうかなあ、と思う。
昨日、鳩山由紀夫氏が政界引退を表明した。
こういう人はもう外国に逃げて行くのかしら。
失礼ながらそう思う。

世界には、大きなことと小さなことがある。
こういう時、ほのかな光って、けっこう温かいものだ。

このあいだ、私はビデオ屋さんの駐車場で接触事故をおこした。
ゴンッと鈍い音がして、じぶんがよそのクルマにぶつけたとわかった。
私たちはそれぞれクルマから降り、おたがいに謝罪しあい、
車を調べ、住所を交換。警察をよび、保険会社に連絡してわかれた。
私がぶつけてしまった車は大きく、乗っていた人はわかくて優しい人だった。
ほんとうにあたたかい人で、あやまる私の心配をしてくれたのだ。
事故は申し訳ないことだったけれど、こんなときにはめずらしく、
私の心にはキズができず、うれしい気持ちだけがのこった。

きのうは、私のわかい従妹が、自由律の短歌を送ってきてくれた。
若い従妹で、私は彼女に手紙を書くとき、美しい菜っぱちゃんへと書く。
美菜子という名まえなのである。
美しい菜っぱちゃんは昔から身体が弱かったし、年齢は私の子どもとおなじぐらい。
小さい時から、この菜っ葉の感受性には端倪すべからざるものがあって、
それがこんどの短歌になったのかと、知ってはいたつもりでも、とてもおどろいた。

    緑がうねる黒 南風のなか意識する秘密 薄日が射した
    この寂しさを一生抱えていくのだろうか 緑は雨にしっとりけむる
    身近な人の笑顔のために頑張ろうと思った体調不良の朝
    公園の珊瑚樹が色づき始めている 秋によろこべるだろうか
    幸せすぎて気づかなかったこと 例えば母が疲れ易くなった

たいへんな表現方法だと思わずにはいられない。
自然とそして心の秘密にそっと踏み込むような。
私たちの惨めな世界、惨めな心には、
静謐な領域がゆたかに残されていると思えて、私は得がたい体験をしたのである。
ほのかな光を喜ぼう。そう生きたいと思う。