2012年11月27日火曜日

「新版・チェルノブイリ診療記」400円


福島原発事故への黙示という副題がついている文庫本。
この「新版・チェルノブイリ診療記」を私は出版されてすぐ買ったらしい。
2011年の7月に再発行されてすぐ、苦しまぎれに買いはしたけれど、
本棚にツンドクだけで、読まないままだったのだ。

2011年3月11日、未曾有の天災と人災。
幼稚園の園長だった私の日常は、さまざまな対応におわれて、
もちろん関連の書類や書籍を読むことは読んだけれど、
いろいろ買った本のなかにはそのまま忘れて、今ごろ読むものも多い。

園長としての私は、原発事故以後の一部保育について職員と対立、
苦慮したあげく辞職願をだしたが、経営陣に賛同受理され任期なかばで退職となった。
子どもにも親御さんたちにも挨拶ができない「別れ」である。

退職が6月半ばのことだから、7月なんかくたびれてなんにもできない。
園内の各種職員会議で論議をくりかえしたのだし、内外の信頼する人々に相談もしたから、
自分勝手な独断専行の結果とはまったく思わないが、
自分がした決断が正しかったのかどうか、失職後もすごく悩んだ。

私にとって原発事故が以後に及ぼす影響は、ある程度予測のつくことだった。

事故を終わらせることは簡単にはできない。
政府は事実を隠す。マスコミはいい加減なことばかり伝える。
だから、どうしたらいいかを自分たちで考えるしかない。
日常のルールを、病気にならないように用心して変えるべきだ。
事実から眼をそむけたら、
自分たちの子どもの健康も安全も絶対に守れはしない。

そう思うことが異常だろうか?
2011年3月11日にそう思ったということが?
私はそれまでに原発を批判する一般的な本も読んでいたし、
チェルノブイリの原発事故の様子をテレビで見もした。
友人たちが気をつけてくれたので、映画も観たし講演を聴きにも出かけた。
強烈な活動家にならなくてもうしわけなかったけれど、私の孫の父親はいう。
「かあさんは原発に反対してたし、ぼくたちが子どものころから、
デモにも映画会にも連れて行ってた。ぼくも本気をださなくてホントウに悪かったけど」
恐ろしいことがついに起こった、と思うのは当然ではなかろうか?

なんでこんなことを書いたかというと、菅谷先生の本を読んでビックリしたからだ。
「職を賭して」と考えたつもりの私でさえ、考え疲れていい加減のん気になっている!
この本をなんとかして読んでほしい。
本書は新潮社文庫で400円である。
菅谷先生は親しみやすく、良い人だ。明るくて、希望を失わない。

この本を読んで胸をうたれるのは、
原発が事故をおこした場合、子どもたちがどうなるかよくわかることである。
どうしてかって、
この本を書いた人は、甲状腺の専門医であり、優秀な外科医として、
事故直後チェルノブイリの風下となったベラルーシの国立甲状腺ガンセンターで、
5年間も病気の子どもたちの体にメスを入れていた人だからである。
先生はいま、二期目の市長さん(松本市)で行政の責任者でもある。
お書きになった本が読みやすいのは当然かもしれない。

私は思う。
選挙で私たちは半月後に投票する。
そのまえにこの本を読んで、よく考えて、棄権しないでほしい。
つい先日ブログにのせた童話のことだけど、
「100万回いきたねこ」は「キライ」ということが多かった。
あのとらねこは、「みんなキライ」、なのだった。
いま、政治家の離合集散、労働組合の腐敗、マスコミの嘘にとりかこまれて、
私たちは、ふてくされたとらねこ状態である。

みんなキライは、とらねことガキのセリフだ。
いい人は、さがせばいる。
だれもいないはずがない。
どうしてもいなければ白紙投票で(そんな場合じゃないとおもうけど)、
自分たちの投票の権利だけでも高くかかげよう。