2012年11月29日木曜日

神保町の街角で


神保町を歩くのが好き。
地下鉄A6出口を出て、落ち着いた雰囲気の白山通りを歩いて行く。
古本屋の老舗が並んでいるし、こどもの絵本の店もあって。
よせばいいのに古本や新刊本を誘惑にかられて何冊か買ってしまい、
珈琲店の大テーブルにむかって買ったばかりの本を読み始める、それが楽しい。
時々、本のページから眼をはなして、なにか食べながら珈琲を飲む若者を見たり、
仕事の打ち合わせをしている人たちを見たり。

母や従姉夫婦がこの街の出版社で働いていたから、愛着があるのかしら。
むかし読んだ童話のお祖母さんのように、古いアパートで独居生活をするとしたら、
などとふらふら考えるのがまた楽しいのだ・・・。
その空想の部屋にはまず見え隠れする魔法みたいな小人がひとり、
本棚からは本があふれだし、少ない家具はオンボロがいい。
窓の手摺(てすり)は鉄のレース模様、
カーテンは色あせた青灰色の上等のビロード。
窓から見下ろす光景はジャン・ジャック・サンペの、私はもちろん行ったことがないけど、
愛すべきサンペが描くマンガのような巴里、じゃなくて神保町。

きのう御茶ノ水から歩いたとき、娘がかよっていた大学があった。
明治大学は本の街のなかに位置していたのだとあらためて思う。
大学と劇団とアルバイトでいそがしく、心配のない子だったから放っておいた。
娘はこんな文化的な場所にいたのかと、今になって気がついたことに胸が痛んだ。
音楽も聴ける、本は洪水のようにある、安くておいしそうな食堂も、文士的山の上ホテルも。
無いのはおかねだけ、だったにちがいない。
でもこの街は親の代わりに、あの娘の情緒を育てもしてくれたのではないか。
そんなことを思うとすこしさびしさが薄れてうれしい気がした。

駿河台下まで歩いて、白山通りに行き、そこでまた本を買ってしまった。
美しい装丁に気を惹かれて。
210円だった。
三浦哲郎著 「木馬の旗手」。
子どもをあつかった短編が12編まとめてある。
貧しい農民の子どもの呆然、これほどの悲哀と不運を、なんと美しい方言でもって、
三浦さんは書いたことであろう。
装丁は司 修。本のハコも表紙も本編をしかと護ってすばらしい。
「木馬の旗手」を覆う茶色く変色したパラフィン蝋紙を、
装丁をながめていたくて、私はぺりぺりと家に帰ってから破いて捨てた。