2013年5月22日水曜日

不調な日々だと


なにかにかぶれたらしくて、肩から上がかゆい。手の甲もかゆいし。
顔がむくんで、調子がよくない。
私はどっかが悪いんだ。
具合がわるいからずーっとユーツである。
にっちもさっちもゆかない無気力。
原因をあれこれ考えるのがメンドーでいっそ皮膚科医院に行くことにする。
だけど病院の名まえがわからない。思い出せない。
診察券は古くなったので捨てた。そういう感じがする。
思案投げ首、あーもう鬱陶しい。
私がおぼえているのは、そこの女医さんがとても好きだったこと。
それなのになんでかすごく待合室が空いていたこと。
南大沢の大きな建物の横の坂をのぼって、駐車場のわきをクルマで走ったこと。
一軒家みたいな医院。
これだけしかおぼえていないけど、とても行きたい病院でしょ。
どうせ薬をもらうなら、あそこがいい。カンジがいい。
気分の問題なんだけど。

さて私にはちょっとスーパーな若いともだちが幾人かいて、
これが幸運のはじまりだと思うけれど、
一人はそういう病院がたしかにそこいらへんにあったと受けあってくれ、
名まえはわからないけど、ご主人が内科医でご近所で開業しているはずだ、と言った。
なんだかだんだん判ってきた感じ。
それでこのヒトならホントにわかるかもと、もう一人のともだちにたのんだら、
確かじゃないけどここかもしれないと、医院名と電話番号をおしえてくれた。
どうやったのか、だれの携帯電話でもそうなのか、
私がメールをもらうと、青い番号があって、それで電話が病院にすぐかけられる。
彼女たちは母親なので、いろいろなことをよく知っているわけなのだ。

目的の医院も女医さんも、
あのときのように感じがよいまんまだったけれど、
今度はすごく混んでいた。
ぽかーんとダレもいなかった皮膚科医院のあの午後がなつかしいけど、
混んでいてよかった、さもありなんと、うれしい気がしたのも私にはよいことだった。
不調な日だとなぜだか、
だれかのお世話になるということが、物語のように新鮮に感じられるのですね。