2013年5月2日木曜日

「ピアノマニア」という映画


おそらく夢がかなって生きるとは、こんな幸福のありようを言うのではないか。
これはドキュメンタリーなのか、幻想のドラマなのか、
よくわからないまま、魅せられて、1時間40分が過ぎた。
ピアノの音色が素晴らしいことはもちろんである。

シュテファン・クニュップファーというピアノ調律師のある一年間を語る映画。
(オーストリア・ドイツ合作)。

フランスの高名なピアニスト、ピエール・ロラン・エマールが、
「フーガの技法」(バッハ)を録音する。
演奏用に彼が選んだピアノは、スタインウェイ社の逸品『245番』である。

映画は、ひとりの細身の調律師の仕事と日常をひたすら追い、
世にも厳しいピアニストの、あらゆる希求をかなえようとするクニュップファーの
仕事、性格、生きるということを、私たち観客に、
あたかもあるがまま、そのままのように、見せてくれる。

映画には監督とか撮影するクルーがいて、たぶん膨大なフィルムを編集する
技術者もいるのだろう。
しかし、この映画では、ドキュメンタリーだとは信じられないほどに、
映画を撮る人達の存在がかき消えているので、
観客がドラマのなかで自分の夢を見ているような、そんなことが画面に起こるのである。
デリケイトな幻想にも似たひとつの人生が、
ドイツの地味なピアノ調律師の姿をかりて、浮かび上がるのである。

ああ、いいなあ。
真実と確実に向き合う人生の、なんとわかりやすいことだろう。
ピアニストのいかなる要望にも躊躇なくうなづく姿。
相手のすさまじい要求に、制限をもうけず応えようとする幸福な微笑。
調律が演奏の一部だという当然の生き方。
一流の演奏家が要求する音は、かならずおなじだという見識。

たぶんそれは、子どもを育てたり、なんとかよい仕事をしようとする、
私たちみんなの気持ちと、どこか似ているのかもしれない。
よりよく生きるとはこういうことをいうのだろうと、うらやましいけれど、
しかし一方で、あの孤独な、地味な、しあわせそのものの姿から、
だれかの役に立つように生きたいと願うヒトの魂の奥底には、
こういう姿、こういう日常、こういう心意気がしまってあるはずなのだとも、
思わずにいられなかった・・・。

つまり「ピアノマニア」は、ヒトの幸福を語る映画だったと私は思う。