2013年5月28日火曜日

おきゃくさんの日 5/23


ちいさなライブがどうにか無事にすんで、
それからもっとちいさなお茶の会をひらいた。
ある病人をちがう病人にあわせるためにひらいた会だった。

すごい病気にかかったと知らせを受け、
即入院という診断だけど通院するという彼女に
それならば、
私がかねてから尊敬している天才に会ってみたいかときいてみた。
私はこのあいだ
その人の手術と入院の話を、朗読の日にみんなできいたばかりだった。
そして彼女の話術や、勇気や聡明さを、たぐいまれな陽気な気質を、
いつかだれかにかならず見せようと決めたところだった。
よし!という気になれるからである。

でもメールなんかじゃくわしい説明はできない。
爪の垢を煎じてのみたいほどの「入院上手」がいるけど会いたい?
とポツンポツンとメールを打ってみた。
そうしたら、以心伝心、よかったことに病人が、
うん、話しをきいてみたいと言ったのである、メールの返事で。

私はそのちいさなお茶会を6人でやろうと思った。
ある病人とちがう病人、
地味で優しくて大病人の気持ちをよくわかってくれそうな3人、
スグひっこんでしまいそうな人をたぶんホッとさせる親たち。
それに私である。

3人のうちのひとりが、べつの用事だったのに「入院上手」をひっぱってきてくれた。
私が電話じゃなく直接たのめるようにしてくれたのだった。
なんていい人なんだろうか。
こうしてお茶会がするすると成立した。
病院は病気を治そうとする。
もちろん治してもらわなきゃこまる。
しかし、病気ってたぶん「治療」だけでは憂鬱きわまりないシロモノなのだ。
見通しや、病気になったそもそもの原因の調整や、友達がいるという気持ちが
つまり、のびのび病気とつきあえる環境がだいじなはずと思う。

治る、なおる、治ると考えよう!自分は病気とかしこくつきあえると。
お茶会はすごく楽しかった。
「病気の話なのにあんなに笑っちゃって」
とうれしそうなメールをあとからもらったけど、
天才さんのお話は思ったとおり二度聞いたって新鮮で、
まあホントに私なんかあの真似はできないと思いつつ、
なんとかあんなふうに人生をあい渡りたいものだとみんなで思ったことである。