2014年4月16日水曜日

手紙と笑う


橋本 進さんは大編集者である。
中央公論の副編集長時代、徳間書店の社長に乞われて
徳間傘下の現代史出版会編集長になられた。
私が橋本さんのお世話になってルポルタージュを書いたのはそのころで、
現代史の一部を記録するタイヘンな作品に関わらせていただいたわけであるが、
私ときては30代の後半で子ども3人を育てることが難しく、その後文筆業はあえなく沈没。
橋本さんとのご縁もそこで切れてしまった。

・・・それでも時々は、講演会の会場などで橋本さんをお見かけしたものだ。
例えば日独の裁判所事情を比較する映画の会。
カナダの女性監督による「飲み水」に関する映画上映と予言的TPP批判の集会。
遠くから拝見する橋本さんは、だんだんに年をとられて、美しい白髪が印象的になり・・
四年前にお目にかかったのは、、神保町の岩波ビルの一室だったが、
それは「横浜事件」の報告集会であり、橋本さんは司会をなさったのであったが、
それはそれは理性のかったモノ凄い司会ぶりだった。

その橋本さんから、ひさしぶりにお手紙をいただいたのは、
Tさんが、橋本さんの御宅をお訪ねしたからだった。
「いやあ、橋本さんは93才になられたのですって! 驚くほどお元気でしたよ。 」
Tさんはわざわざ訪問の電話をしてくださって、
「お話なんか今もって明快そのもの。帰りは駅まで送っていただいたんですが、
足元もよろけたりしないし非常にしっかり。わたくしまで元気が出ました。すごい方でした。」

93才になられたんですって?!
いったい月日というのはそんなにもすばやく過ぎていくものだろうか。
私はTさんからの電話を切ったあと、オウム返しの手紙を書いて投函した。
編集者ってなんてすごい職業なんでしょうか。
いつまでもいつまでも、頭も脚も、衰えないとは!
100才の入り口ちかくなのに、どこもかしこもシッカリなんて私は驚いてしまいました・・・。
そうしたら、橋本さんがまたお手紙を下さった。
一生涯心底真面目真実正義対権力秀才巨大学識集中的包容力。
とにかく私なんかがどんなに漢字を駆使しても、説明できないようなお方であるというのに。

 
お手紙からの抜粋。

お手紙、有難うございました。私はごらんの通りの昔のままの悪筆をさし上げ たのですが、
亜子さんからは、昔のままの のびのびとした筆(ペン)づかいで、達意のお手紙をいただき
ました。一挙に桜上水の頃に戻ったような気がいたしました。
   (橋本さんは私の父の知り合いだった方である)

中略および後略

それにしても、Tさんは、私が93歳とどうして認識したのでしょう? 私は87歳で、
お会いしたとき、自分の年齢は申し上げた記憶はないし、その上、93歳と申し上げた記憶は
もちろんありません。 もっとも93歳に間違えられたからといって、文句をいうつもりは全くなく、
むしろ面白がっています。何となく93歳までは元気でいられそうな気がいたします。


私はいつもいつも橋本さんからお手紙をいただくと、上品な文体に胸をうたれる。
でも今回ばかりはひっくりかえって笑ってしまった。