2014年12月17日水曜日

木下さんと言語療法


氷雨が降るのでガタガタ震えながら木下さんの家へ行った。
ガタガタ震える時間は短い、私たちはちいさな団地の住人同士なので。

木下さんのお部屋は床暖房になっているから、とても暖かい。
木下さんは車椅子に腰かけている。素敵なセーターの上に上等な毛糸のチョッキ。
むかし優秀な教師だったころの心意気、木下先生の「勝負服」は今もしゃれている。
私は床に座り込む。 床暖房をやれやれありがたいと思う。
病気の人が経済的に困窮していないということは心底人類をなぐさめる。
暖かいので猫みたいに腹ばいになりたいところだけれど。でもまさかね。

言語療法を身の上相談から始める。木下さんじゃなくて私の。
私ときたらわけのわからないどうしようもないヘンな話が山ほどあるのだ一年中。
木下さんはいつも身を入れて(乗り出す)聞いて下さる。感想をのべる。教えてもくれる。
車椅子の上で、ギュッとつかめばポキンと折れそうな身体をこっちに乗り出し、
使えるほうの左手を動かし、声を張り上げ、 憤慨し、笑いだし、
怖い顔になって クビを振り、口を反抗的に曲げたりする。
瞳が私をおいかけて、 共感してるぞと請け合ってくれているのでらくちんだ。
けっこう体操にもなってるなーと感じる。肩や胸が動いているんだし・・・。
かくして私はおしゃべりを正当化。

まどみちおさんの短い詩を読んでもらう。
朗読の準備運動である。
言語療法が必要なのだから、読みやすいような読みにくいような詩を選ぶ。
ただし気がきいてなくちゃいけない。 文学の醍醐味が空気中に漂うようなのがいい。
どうしてかって、自由に身動きできない人は、ものすごく退屈しているはずだからだ。
動けない分、頭のなかの世界が魔法のようにひろがらなくっちゃいけない。
頭の体操はすなわち血流の復活である、とまあ私は思う。
木下さんは博覧強記のおっかない相手だ。私が解説するとたちどころに反応する。
シャープにしてスマート。こわ楽しい。
きのうはこんなの。「かいだん・Ⅰ」というまどさんの詩。

この うつくしい いすに いつも 空気が こしかけて います
そして たのしそうに 算数を かんがえて います

うつくしい椅子とはどんなものかしら。
ただの椅子ではないのだ。
たとえば私は百年まえからパリのカフェでつかわれていたという椅子を持っている。
そのふれこみが本当だとするといまでは百二十五年まえの椅子ということになる。
よくある木の椅子でしかないけれど、座ると、大勢の見知らぬ人がこしかけたせいで、
模様もすり減って、どことなく木なのに温かい感触だ。
陽だまり、のような椅子。

そこに空気がこしかけているのである。
たのしそうに、算数なんか、かんがえているのだ。

木下さんが知っているそういう椅子はどこにある?
木下さんはパリをみたことがありますか? 私はないけど。

いす・・うつくしい・・いつも ・・・こしかけて・・います・・が始めはむずかしい。
舌が腫れ上がってねじれてもいるから、音がとんだり、ひしゃげてしまう。
でも詩が語っていることを、イメージをつかめば、難関は不思議にも克服されて、
だれにもできない、木下満子の朗読となる・・・。
おどろくべきことに、ながい過去の木下さんの多くの研鑽が実力を発揮するのである。

小さな小さな発表会をしたい。
みなさんはどう感じるだろうか。おもしろいと思ってくださるかしら。
「おもしろいかどうかわからないけれど、企てとしては革命的じゃない?!」
私がそう言うと、木下さんは笑う。
胸に革命的な企てを燃やしていたい八十才だからだ。