2018年2月5日月曜日

海外定住の遥


遥のことを思わない日はない。

子どもが海外で暮らす場合、親は厳しい線引きを強いられる。
なにがあっても、たぶん助けられないだろう。
はじめてアエロフロートに乗りこむ娘を成田空港で見送ったとき、
そう思って、思考停止を自分に強いた。
考えても始まらない。
そういう広大な国へ娘は行ってしまうのだとショックだった。
モスクワへ、モスクワへ。・・・ソ連邦へ。

心配してももうダメだ。

それ以前に勉がヨーロッパへ出発した時など、見送れもしなかった。
乞食旅行で、職業(パン)の師匠が、費用から旅全体の骨子をお膳立て、
ヨーロッパのどこへ、いつ頃到着するのかも、よく判らない旅なのだった。
出発の朝、勉はおじさん(と私達は呼んでいた)に、
「おまえは遊びにいくんだから、働いてから行け」と言われたそうだった。
後藤雄一さんという人は、勉にとってかけがえのない父親だったと思う。

その一か月、死に物狂いで考えたことは、ひとつだけだった。
勉にたとえ何があってもパン屋の後藤さんのせいには絶対するまい 。

その旅で勉は人格が変わり、遥は、人柄はそのままに、人生が変容した。
彼らの暮らしぶりや困難な人生が、私は有り難いとも思うし、
どう考えなおしても、やはり好きである。