2011年8月1日月曜日

幼なともだちと絨毯

オービュッソン
   仏蘭西中部の町。絨毯製造で有名。

エイキンの童話のなかでも「おとなりさんは魔女」がおもしろいと思うけれど、
そのお話のひとつに、オービュッソン製のじゅうたん、というのが出てきた。
えっ、あれっ、これをもしかしたら私、持ってるかも?
それはみっちゃんのお母さんがフランスで買い、ずっと壁に懸けていたもので、
何年か前、それこそ魔法みたいにビューンと、私のところに飛んできたのである。
秋がくるとダイニングの壁に私はそれを懸ける。
紅葉しはじめた秋の森林の鹿の群れ。

みっちゃんというのは私の小学校一年生の時のクラスメイトで、
苗字で呼ぶのもヘンだから、今も、みっちゃんみっちゃんと私は言う。
幼稚園の若い母親たちなんかも、つられてしまい、
彼女の講演の時、控え室での接待や、講演中の質問に、
すみませんすみません、みっちゃんなんて呼んじゃって、
そうあやまりながら、
「あの、みっちゃん、お砂糖は使われます? 」
「あの、これでいいですか、みっちゃんは?」
ちょっと憧れるような表情でみっちゃんをだいじにする。
お話ができてよかった、またお会いしたい、とあとあとになっても敬語である。
この私の友達は、
内面からほーっと光り輝くような、きれいな笑顔のヒトである。
はがね(鋼)のような意志力をもちながら、話し方は慎重でやさしい。
みっちゃんは純粋だし、努力のヒトなのだ。
幼児のとき重病を患い脊椎カリエスだったから、障害が身体に残った。
でもそのことが彼女をすばらしくチャーミングな人間にした、と私は思っている。
ずっと友達だったし仲間だったし、だからそんなふうに考えるのかもしれないが。
しかし、このことと絨毯の話とは関係がない。

みっちゃんの家は天井の高い、冬になると暖まりにくい大きな家である。
シャンデリアがあるのかないのか、気をつけて見たことがないから思い出せないけど、
どこかにシャンデリアがあるはずだという仕様の家。
住んでる家族は、それを降ろすのも仕舞うのも、さりとて磨いてキラキラさせるのも
メンドーと言いそうな働く一家で、「社宅」などとこの邸宅を呼ぶ。
なんせ家の南側バルコニーに、「反核家族」と大書した布を張り出しているのだ。
センスなんかナミのありようとはひと味もふた味もちがう。
私はこの家に行くたび、玄関から二階のマホガニー色の木製手摺を見上げ、
手摺に懸けられている貴重な大絨毯をながめたものである。
「なんとも芸術的な絨毯ねえ、、どういうものなの?」
「ああ、あれ? 母のお土産。重くってさあ」
「いい絨毯ねえ」
「うん、いいもんだって、母が」
みっちゃんは「母」のたび重なる世界旅行にも、お土産物産の山にも
そのお土産のスケールの大きさにもマヒしている。
「お茶にしよう、玄関寒くてごめんね、早くスリッパはいて」
みたいなもんなのだ。
だからその絨毯は何年も何年も手摺に懸けられて、色あせたのだかなんなのか、
大きな家の玄関の品位を、ただ沈黙のうちに、高めていたのである。
そのけなげな絨毯を、である。
ある年、大掃除をする気をおこしたみッちゃん一家が捨てたのだ。
「す、捨てた!? とめるヒトはひとりもいなかったの? こどもたちも!」
私はもう、意気消沈して、
「この家で一番いいのはあの絨毯だと思ってたのにー」
「アラー気に入ってたの? そりゃ申し訳なかったよなあ。」
みッちゃん夫婦は、じぶんちの絨毯なのに、うしろめたそうにニヤニヤし、
「ひとこと言っといてくれれば、差し上げたのになあ」
そんな悔やみ方をするのである。
ズレてる!

そしてまた月日は流れ、何年かが過ぎた。
この家族には、お母さんの膨大な家具調度品等々を整理始末すべき時があった。
そうしたら、どういう具合でか、
みっちゃんは優しくも親切な夫に、がみがみ、
「こんどこそ絨毯は捨てないで取っておいてよ! あげるんだから!」
なんでよ? ちがうでしょ? 
私がほめたのはあの、アンタ達がゴミに出しちゃったやつよ!
絨毯ならぜんぶスキって言ってないわよ!
なんだか思いだすとひとりでも笑っちゃうけれど、
とにかく、そんなわけで、
長い長い時間を経たあげく、
みっちゃんのスケールの大きなお母さんの
べつの絨毯が、ビューンと私の家に飛んできて、
仏蘭西中部の町、かの有名なるオービュッソンのモノだと、
今ごろになってのーんびり出自をあきらかにしたのである。
さすがにたいした話ではないか。


                         とんでもない月曜日
                         ジョーン・エイキン作 猪熊葉子訳
                         岩波少年文庫