ジョーン・エイキンの童話がけっこう好き。
ずっとまえからそうだから、
アーミテージ一家がなにをさわいでいるのか、
ユニコーンや幽霊、とんでもない叔母さんや突拍子もない木について、
読む本がなくなると熱をいれて再読、そして現実をわすれる。
最初、私はだまって本を読んでいる。
アーミテージ一家のおくさんがご主人に、新婚旅行さきの浜辺で、こう言うのだ。
「それにマークとハリエットっていうふたりの子どもがほしいわ。元気がよくて、
行動的で、ふさぎこんだり、ふくれたり、たいくつしたりしないこどもたちをね。
そしてこのふたりにはたくさんおもしろくて、めったにないようなことが起こるといいわ。
妖精の名づけ親がついたらすてきだわね。たとえば、だけど。」
そこらへんで私は、はじめの二行とくに後半部分を読んできかせる。
台所で料理中の二男にである。
三行目以下は関係ないから読んできかせない。
だって、うちのこどもたちに、
おもしろくて、めったにないようなことは、めったに起きなかった。
これからだって福島の原発事故をずっとひきずって生きなきゃならない。
妖精の名づけ親はヨーロッパにいる。
京王線沿線だと、ゲゲゲの女房になっちゃう。
とそれはともかく。
私は二男に、ついこう言ってしまう。童話のノリなんである。
元気がよくて、行動的で、ふさぎこんだり、ふくれたり、たいくつしたりしないこどもたち。
「うちのこどもたちって、こんなふうだったわよねっ?」
二男は急にバカにした顔になって、
「ぜんぜんちがうよ、かあさん、オレたちみんな元気なかったぜ。八ッハッハッ。」
「そうかなあ。でも行動的だったわよ」
「どこが? だれもまるで行動しなかったよー。アネキとか僕なんかトクに」
「そういえばそうか。そうよね。でも、ふさぎこんでなかったじゃない?」
彼はテキトーな皿をさがしながら、
「ちがうさー。みんなふさぎこんでたさ、楽しいことなんてひとつもなかったもん」
ひとつもない、はひどいよ。
「ふくれたりは? エートそうか、年がら年中怒ってたか、あんたのお兄さんは」
二男はそうそう、そうと言って、
「僕たちは、すごく機嫌の悪い兄弟だったんだよね」
私は、リアリズムのグレーゾーンへと落下する。
「いやだなあ、してみると、三人が三人とも退屈してたっていうわけなの?」
そうさ、という答えが確実にもどってくるのだろう。
それが彼らのナマの回答なのだ。
思えば私だって、そんなふうに悲しむこどもだったではないか。
私は白いワインを飲むことにした。
リアリズムからの別途逃亡である。
これだって油断がすぎればアル中になるのである。
おとなりさんは魔女―アーミテージ一家のお話1
ジョーン・エイキン作 猪熊葉子訳
岩波少年文庫