強くて勇敢で大らか、いつもその姿は新鮮だ。
夏の大空に、濃緑のゆたかな尖端三角形をきっぱり風にさし出してたのもしい。
炎天を意に介さずという、その風情がじつに私たちをホッとさせるのである。
私は、メタセコイア通りの秋をいつだって待っている。
秋になると、並木道全体が赤毛のアンの頭のよう、
赤い燃えるような煉瓦色になって大騒ぎである。
派手だ、火事みたいだ、とみんなが思う。
それから季節がうごき、時間がたち、針の葉っぱはさびた茶色になって、
どんどんどんどん、下に落ちてしまう。しかたがない。冬がくるのだ。
派手、がおわると私はすごくがっかり、でも、冬もきれいだったっけ、と気をとりなおす。
メタセコイアが潔く落葉するからだ。
何億ものさび色の針葉が、はらはらとみっしりと大樹の根元に落ち、
無数の枝が今では凍る骨のよう、沈黙にみちみちたレース模様で冬空を飾っている。
冬が終われば春がやってくる。
お祭りの春だ。
メタセコイアの赤ちゃん針葉がやってくる!何億もの若葉が!