2011年7月21日木曜日

諧謔(かいぎゃく)

中国文学をよくする南雲先生が東日本大震災から二ヶ月たつころ、
東京新聞にのせた、かの国の「笑い話」がある。

「中国人たるもの、世界最強の免疫能力を保持しているではないか!
長年にわたって我々が 
メラミン入り粉ミルク、ローソク磨き米、にかわ入りうどん、
皮製牛乳、カドミウム入り米、パラフィン入り鍋料理、毛髪製醤油、
化学肥料づけ鶏、薬物入りハム、腐敗穀物、サッカリン入り棗(なつめ)、
酸化剤入り茶、アルミニウム入り饅頭、硫黄入りキクラゲ、農薬野菜、
メチルアルコール酒、人造卵、紙湯葉、どぶさらい食用油、段ボール入り肉まん、
麻薬入りスープ、プラスチック米、ホルモン入り田うなぎ
といった物を食べたり飲んだりしてきたのはなぜなのか?
ほかでもない、来るべき生物化学兵器戦争の中で生き抜くためではないか!
これだけ命を長らえてきたのだから、今回の事故など何を恐れるのだ?
日本から遥か離れた新橿でも騒ぐなんてどうかしている!」

うわぁっ、はははは。
見出しはこうだ。
「冷静沈着を求める囁き」

うん?
引用じゃなくて地の文を読むと、
このクールでコワイ冗談を、南雲先生ったら、
福島原発のご近所、日本のど真ん中にいるというのに、
冷静沈着に、といういましめに利用したりしている。
以って他山の石としなければならないだろうって。
「正確な情報が掴めないまま、風評で右往左往している中国人自身を皮肉っている
と同時に、中国の民衆生活を脅かす食の安全性への厳しい批判が鮮明である。」
と文中、ささやいたりして。

コワイ冗談は、元来、怒りのクールな発散である。
どだい冗談ってものが「冷静沈着」を求めるだろうか?
冗談じゃ、ないんじゃないの。
冗談が求めるものは、発散なんじゃないの。

諧謔(ユーモア)とは、とくにこの場合救いなき現状認識である。
笑っちゃう形式をつかった、腹を立てろというアッピール、のはずなのである。
その本質をこそ、「他山の石」としないで、なんのおのれが学者かな。
私たちが、正確な情報が掴めないまま風評で右往左往するのは、
不正確な情報ばっかり流されるからでしょ。
という不正について中国には、
たぶん、もっとコワイ冗談があるんでしょ。