2011年7月24日日曜日

長 新太な一日

長 新太さんのまわりをグルグル、まわるような一日。
変てこで、ヘンテコで、もうこまるよ。
昨夜、「長 新太 ナンセンスの地平線からやってきた」という本を買った。
帰宅後、怪しいような気がしてさがすと、うちの本棚にそれがある。
ところどころ読んだ本。いくら魅力的だからって、二冊は多すぎる、こまる。
べつの本と取りかえてもらうことにして、今日もまた昨日の本屋さんへ。
風に吹かれて、夢の上にただのりでもしているような。
そんな日だったからかどうか、
私ときたら、またしても長 新太の本棚の前に行き、
またしても、うちにあるのに、という長さんの本を買っちゃったのである。

これって怪談なのか。運命なのか。
いくら拾い読みしてみても、読んでないっ、という気がするデジャヴな本。
今度の本は「絵本画家の日記」というんだけど、
読んだおぼえがあーりません
長 新太なら太字でそう書くだろうな、と思ったらおかしくて。
だめだ、立ち読みなんかじゃ決着がつけられない。
こんなこと書いてなかった、と、どうしてもだまされちゃう。
文体が新鮮。文章は短い。ききたい捨てぜりふが、ピチンパチンときける本。
日記部分なんか、読みにくいのを強引に読ませる、画家の直筆。
職人のしかけとは、まっこと、こういうものであろう。

私は差額を支払い、またこの怪しい長 新太の本を買った。

魔法にかかったような日の暮れで、
こどもの泣き声に気をとられ、本屋では危うく上がりのエスカレーターで下ろうとし、
近道をするつもりで帰り道をまちがえ、野外映画会場にまよいこみ、
「それじゃ理屈にあわないっ」というどこかの少年のさけび声をききながら、
草のにおいのする公園をぬけ、曲がりくねった道を曲がりくねりながら進み、
ヘンな石の階段をのぼり、蒼白の紳士がほうっと腰掛けているベンチの前を通って、
やっとこさ家にたどり着いた。
なーにナンセンスの地平にいたと思えばおもしろいわよ。

家に帰ると本棚にはやっぱり「絵本画家の日記 2」。 2、なのに同じ本。
なりゆきから想像するに、今日一日ってまるでヘンだった。
まともじゃなくて、現実がどこかにいっちゃったような。
だとしたらおもしろいことが起こるのは、これからかもしれないじゃないの。

そう思っていれば、そうなるものなのであって、本当に。
今度の「絵本画家の日記」にはDVDが、おまけの魔法みたいについている。
それは長 新太さんが日記を朗読し解説した、過ぎし日の講演の映像なのだった。
大腸のガンを手術し、胃のガンを手術し、肝臓のガンを手術したこの人が、
病気になるほどのわりきれない怒りを、ナンセンスの地平の下にどう抱えて生きたか、
抑えても抑えても解決をみなかった画家の怒りが、
ちらちらと、ちりちりと、平板な空間を輝かせる、そんな映像なのだった。

ふつう私たちが手に入れてながめたりする絵本の挿絵とはちがい、
大きなTV画面のなかの長 新太さんの絵は、
ほんとうに本当に美しく、芸術そのものである、それも新発見だった。
展覧会に行きたいなー