2011年7月19日火曜日

大江健三郎氏の予言

2001年9月10日に引っ越したけれど、TVはつぎの日もダンボールの中だった。
2001.9.11。
その日その時その光景を見なかったおとなは少ないだろうけど、しょうがない。

少し後になって、幼稚園の会で、ひとりの母親が新聞の文化欄に掲載された記事を朗読した。それはノーベル文学賞受賞者の大江健三郎さんへのインタヴューだった。
印象的な、しかし、のみこめない構成。
タイトルは 「それでも希望を託す」 である。
まずあの日のアメリカの世界貿易センター崩壊について、大江さんはこう語った。

「そういう形で21世紀が始まったのならば、我々の滅びの日は近いと、暗い気持ちになった。再建の思想が必要だが、おそらく僕は新しい希望を確信することなく死ぬだろう」

なんだって、と私は思った。なんと言ったの?
我々の滅びの日が近い?
短い記事のなかで大江さんが話したもうひとつの言葉はこうだ。

「自分たち人間は心のなかに子どもをもち続けて成長し、死ぬのだとわかったのです。子どもの時知っていたことは今も知り、感じていたことは今も感じている。子どもの中にすべてはあり、最期までそれから逃れられない。」

子ども。
滅びの日。
それでも希望を託す。

言葉がもたらすイメージのどれもが、たがいに反発しあい、ごろごろと収まりがつかず、
心に残った。忘れながらおぼえていて、
そうやって自分は、2011.3.11の日をむかえてしまったと言えようか。

あのころ五つだった子は、今ではもう十五才になるのだろう。