2011年7月25日月曜日

ダンゴ虫体験

幼稚園をやめたあと、生れて初めてゆっくりした。
一分間を地球儀のようにまん丸く感じる、というようなことか。
たとえば日陰の道を急いでよこぎるダンゴ虫を、よけたりする。
すると灰色のだんご虫のまわりで、時がのんびりゆっくり、ふくらみ始めるのだ。
虫たちの前で立ち止まるヒトは、いつの時代にもちゃんといる。
いいヒトだと相場も決まっている。そういうヒトに会ったことだって、ある。
しかしながら私は、そんなこと考えただけでもつんのめって転んじゃうわけで。

よかった。
たとえ二年でもこどもたちの中にいたのが、幸せだった。

むかしならば、ダンゴ虫はダンゴ虫、見たくもないガイ虫だ。
でも、こどもたちは私にしょっちゅう、ダンゴ虫をさしだす。
「ほら、ね?」「みてみて」「あげる」
はにかんで、世にもうれしそうな顔をしている。
「けっこうよー。いらないよー」
小さな手のひらの上のダンゴ虫は、恐怖のあまり、
たいていが、まん丸くなってる。
ツルツルのピカピカになってる。
ダンゴ虫にそんな可能性があるなんて、誰が思うだろう。
だいじにされてピカピカになっちゃうなんて。

朝一番にダンゴ虫をつかまえた子どもの幸せ。
そんなことが、私の記憶をかがやかせ、私の今をいっぱいにし始める。

あの子。
あの晴れ晴れと、一点の曇りもない笑顔。
どうしたらそんなほがらかな顔になるのか、いつも不思議だった。
親がいいのかな? もって生れた気質かな? 
一生、ほがらかさをキープする才能がこの男の子にはあるのかな?
幼稚園に到着後十分もたてば、おなじこの晴ればれ坊やが、
カンシャクを爆発させ、ダッコのセンセイを蹴っ飛ばしブッ飛ばし、
まいど泣きさけびながら職員室に運搬されてくる、ほらきた?!
でもさあ、いいじゃない?
毎朝幸福そうに幼稚園に来てくれるのよ。
今朝なんかスキップしてたもん?!

この子に、私は中国の貯金箱っていう、あだなをつけてた。
ふっくらと赤ちゃんみたいな体格だし、話す声が甲高くてかわいくて。
でも、いつしか職員室に運搬されてくる回数が減っちゃって。
成長したからと説明されてそうかあ。成長はいいことなのよねー。
そんな記憶の一分間を、
まるくてツルツルのダンゴ虫みたいに手のひらにのせて、
のーんびりは楽しいことだよ、いいな、とそう思う。