幼稚園をやめたあと、生れて初めてゆっくりした。
一分間を地球儀のようにまん丸く感じる、というようなことか。
たとえば日陰の道を急いでよこぎるダンゴ虫を、よけたりする。
すると灰色のだんご虫のまわりで、時がのんびりゆっくり、ふくらみ始めるのだ。
虫たちの前で立ち止まるヒトは、いつの時代にもちゃんといる。
いいヒトだと相場も決まっている。そういうヒトに会ったことだって、ある。
しかしながら私は、そんなこと考えただけでもつんのめって転んじゃうわけで。
よかった。
たとえ二年でもこどもたちの中にいたのが、幸せだった。
むかしならば、ダンゴ虫はダンゴ虫、見たくもないガイ虫だ。
でも、こどもたちは私にしょっちゅう、ダンゴ虫をさしだす。
「ほら、ね?」「みてみて」「あげる」
はにかんで、世にもうれしそうな顔をしている。
「けっこうよー。いらないよー」
小さな手のひらの上のダンゴ虫は、恐怖のあまり、
たいていが、まん丸くなってる。
ツルツルのピカピカになってる。
ダンゴ虫にそんな可能性があるなんて、誰が思うだろう。
だいじにされてピカピカになっちゃうなんて。
朝一番にダンゴ虫をつかまえた子どもの幸せ。
そんなことが、私の記憶をかがやかせ、私の今をいっぱいにし始める。
あの子。
あの晴れ晴れと、一点の曇りもない笑顔。
どうしたらそんなほがらかな顔になるのか、いつも不思議だった。
親がいいのかな? もって生れた気質かな?
一生、ほがらかさをキープする才能がこの男の子にはあるのかな?
幼稚園に到着後十分もたてば、おなじこの晴ればれ坊やが、
カンシャクを爆発させ、ダッコのセンセイを蹴っ飛ばしブッ飛ばし、
まいど泣きさけびながら職員室に運搬されてくる、ほらきた?!
でもさあ、いいじゃない?
毎朝幸福そうに幼稚園に来てくれるのよ。
今朝なんかスキップしてたもん?!
この子に、私は中国の貯金箱っていう、あだなをつけてた。
ふっくらと赤ちゃんみたいな体格だし、話す声が甲高くてかわいくて。
でも、いつしか職員室に運搬されてくる回数が減っちゃって。
成長したからと説明されてそうかあ。成長はいいことなのよねー。
そんな記憶の一分間を、
まるくてツルツルのダンゴ虫みたいに手のひらにのせて、
のーんびりは楽しいことだよ、いいな、とそう思う。