2012年6月20日水曜日

吉田健一生誕100年


ちなみに吉田健一とは文士、作家である。宰相吉田 茂の長男である。
私は一人っ子で親の数ばかりが多い育ちだが、
その親のひとりの本棚にあった,
読んだ形跡のない吉田健一全集を形見にもらって、
いつか読もうと思うからもらうことにしたのに、しかしもう十年間、手がでない。
三十巻とちょっと。こんなにたくさん書いたなんて。

私の父は,
私が育つころは経済学者で、若い時分は新聞記者だった。
いわゆるもの書きの生活をした人間である。
彼の父親、私の祖父は浜名湾の旅館の跡取りをきらって英語の教師になった。
祖父が彼の弟にゆずった旅館には由緒があって、
いまでは舞阪町の指定歴史建造物として無料公開されているが、むかし脇本陣。
脇本陣とは大名その他が泊まる場所である。
つまり、私のハイカラ好みみたいなもの、
いつか吉田健一の著作を読んでみたいなあという気分は、
こういうあらすじの中からできあがったという気がする。

ところがめんどうくさくって、全集が読めない。
ひっかかってるのに手がでない。
それだからかどうか、神保町へでかけた折り、岩波書店の出店で、
「吉田健一」生誕100年・最後の文士という、ピカピカ黒くひかる雑誌を見つけた。
2012年とあるから今年のはじめに出た特集である。
これを読めば、なんとかうちにある全集に手がでるかしら。
雑誌が1600円とは私にはつくづく高価でどうかと思ったけれど、買って読み始めた。

金井美恵子×丹生谷貴志・対談があって、
「春の野原」という小説が吉田健一的なものの本質だと思う、
吉田健一の小説を一本選ぶなら、この「春の野原」ですね、と。
あの金井美恵子さんが。
さて、「春の野原」はこの雑誌に掲載されているからそれを読むんだけど。
おなじ対談のなかで、丹生谷さんはこんなふうに (笑)印をくっつけて
言うのだ。
大岡昇平も三島由紀夫も吉田健一を褒めますよね。
しかし、実のところ何が良いのかきちんと論じていません。
たとえば大岡さんだって、面白いと言ったきり何が面白いかを言わない。
みんな吉田健一の何を褒めているのでしょうか。
(笑)

・・・しかしみなさん、そうなのかもしれませんけれど、
それでもって三十巻の全集とはすごい話ではありませんか。(つぎこ)

吉田健一という特権階級の御曹司の在りようの不思議というものは
骨の髄までのハイカラーのおそろしさというか魅惑?だろうか。
大正元年の生まれ。
東京千駄ヶ谷宮内庁官舎に生れ、六歳で青島・済南へ、七歳でパリへ。
パリからロンドンへ転居。十歳になると天津の英国人小学校に通学。
なにしろお父さんが「吉田茂」だったから。
日本人。≪本場仕込み≫の≪稀びと≫である。
父親は首相で、子どもはアウトサイドな生育暦。
昭和六年三月ケンブリッジ大学を中退、帰国。十九歳。
麻布のもと男爵邸であった洋館に住み、その後赤坂台町の武家屋敷へ。
ずっと戦争。日本の敗戦が昭和二十年。

戦争直後は、ヨーロッパ≪本場仕込≫な人なんてめたにいなかったのだし、
今は留学じゃんじゃん、≪稀びと≫というのがいなくなってしまった。
吉田茂の息子は運命的に本格的でもって、
・・・ヨーロッパなんてカタカナでバカみたいにすらっといっちゃいけない、
欧羅巴が正しいそれは斯く斯く、というふうな印象・・・なのかしらん。
なんでもある席で小説家が酔っ払って、毛唐がどうのとわめいて言っちゃったら、
テーブルをひっくり返したという、吉田健一さんが・・・。
人間は、あまりの恐怖を感じると、
その自分に恐怖を与える対象を愛するようになったりするものだ、
文豪トルストイがそう言ってるがねと、べつの話で私の父が言ったけれど、
同時代人としては、それにちかい感覚だったのかしらん。
なにしろ敗戦後の日本人の、それまで戦争ばっかりだったという文化的劣等感。

なかで楽しいのは、殿様を語るような「小川軒」やら「胡椒亭」の主人の思い出話で、
「王子と乞食」を読むようなおもしろさである。

生誕100年・・・。この特集のなかでは、
与謝野文子さんの「これは巴里のバラでございます」が出色であった。
絢爛豪華にしていぶし銀のような佇まいの文章である。
与謝野文子には、吉田健一に対する澄んだ洞察があり、微塵も畏れがない。
それはそうだ、
与謝野文子は詩人にして美術評論家であるばかりか、与謝野家の人である。
遠まきにする必要もないし、敬遠する必要もない。
与謝野鉄幹、晶子の孫であり、イタリア、エジプト大使の娘であり、
パリ大学理学部で学び、外地での生活は幼少のころから。
「これは巴里のバラでございます」は、少年吉田健一の絵葉書の文だけれど、
この絵葉書を素材に語られたみごとな人物像は、
特権的日本人として外国文化になじんでくらした人ならではのものなのだ。


まあ、私もなんとかして二・三冊・・・・・。
全集がうちにある以上は。