2012年6月25日月曜日

落語・柳家小三治


ものの本を読むと、いま東京の落語家の当代一流は柳家小三治だという。
それならばぜひ見たい聞きたいとおもっても、落語は私の日常からとても遠い。
チケットをとろうと努力してみたけれど、即日完売とかで手がとどかなかった。
やれやれ、すごいことである。
そんな人とは知らないで少しまえから「落語家論」を読んでいた。
十年前の小三治の著作である。
都立青山高校の先輩。論客。こわいみたいにスジを通そうという姿勢。
でも縁が無いせいで私なんかは、こわそう、でおわってしまう。

それでも続きで落語関係の本、古今亭志ん朝関連の本をあれこれ読んだけれど、
それは落語家になる以前の志ん朝のすがたをテレビで見ていたからで、
読めば読むほど、いったいどんなに粋な噺家だったのだろうかと、
生前の落語をきかなかったのが悔やまれた。
古今亭志ん朝は小三治よりたぶんふたつぐらい年上のはずだが、
六十三歳で死んだのだ。

扶桑社から、志ん生・馬生・志ん朝 「三人噺」 という本が出ている。
名人一家の長女・美濃部美津子さんが語った内輪の「噺」である。
落語の本をたくさん読んでるわけじゃないけど、何冊かのなかで、
この「三人噺」と小三治の「落語家論」が、私は好きである。
語り手書き手の存在感がすごい。
かんじがいい。そして人間がきれいなのだ。

母の日があって、それが五月。
私の誕生日が六月始め。
もうしわけないのだけれど、またお祝いを息子がしてくれて、
それが、落語をききに寄席へ行こう、だった。
夕方、道をたずねながら直接寄席へ出かけ、切符を買おうとしたら、
その日の取り(寄席で最後に出演する)が、柳家小三治ではないか !
なんと念願かなって、私たちは柳家小三治にお目にかかれたわけである。

柳家小三治。

五時間も寄席の芸を楽しむのである。
「お中入り」と夜の部に書かれた休憩がおわって、
だんだん落語もほかの芸も重厚になっていく。実力が客席を圧倒しはじめる。
小三治がくる、小三治が出る、師匠はさっき楽屋入りして、等々、
前に出る芸人噺家がまくらに言い始めるから、よっぽど人気なわけなんだとビックリ。
それでやっぱり登場のしっぷり・・・がショックだった。
出てきただけで、空間がキーンと恐ろしいように締まるのである。
剃刀のような目が細くつりあがった顔で、
真っ黒な羽織に白い定紋、変わり羽団扇なんだか罠兎(わなうさぎ)なんだかが、
もう弾丸のように見えちゃう。
非難がましい雰囲気のオーラがピリピリピリーッと客をとりこんでしまうのだ。
完全に場内の空気がゆさぶられ、波立って、
それがまたわくわくと愉しいのだから、実力である。
出てきただけで圧倒的!