2015年2月5日木曜日

1/18反省など


もうみんな忙しいから悪あがきをやめて、アクセル、ピット夫婦と反省会。
新宿は歌舞伎町手前の沖縄食堂にて。

彼女は調理をどこどこまでも境界なしに考案していく生き方、
洋服がまたいい色、森を歩けば見つかるような自然派模様がしゃれていて、
会うたび毛糸の帽子やカーディガンなどをつい見てしまう。
ハデじゃないのがまた良くて。
料理人といっしょの会食は安くておいしいものを間違いなく食べられるからうれしい。
1月18日の討論会には、サンドイッチ、ジュースなどをつくって、運んで来てくれたが、
素材の選び方から値段設定まで、人の生活の程合いに合わせる彼女と調理の関係に
胸をうたれた。思いやりが作品(サンドイッチとかの)の基盤にあって、
それが食べる人に伝わる、実においしい、と評判である。

細かいところからきちんと約束ごとを守る。当日の集まりを支えてたいしたものだと思う。

私は彼をよくよく眺める。10年まえと変わらない若い顔、知的な人である。
初めて会ったころは、今ふうにいえばビッグイッシュウを売っていそうな。
2月に会えば寒そうだなあと思う、そんな風情の若者だった。
たしかバイクが事故で故障したのに悲鳴をあげていて、健康保険をちゃんと払おうとか、
みょうに生活感のある彼の歌詞が、ありそうでいてめったにないものに思えた。
東京人として生活圏に思い入れがあることも、家族関係の現実をラップで語るのも、
変わってるなーと。もっとも私は戦後一世を風靡した歌声運動をまったく経験せず。
それでいきなりパンクロックのライブハウスへ通いだしたのだから、
お父さんを通じて音楽をはじめたような彼を逆に目新しく感じたのだろう。

世代を超えて討論しようという場合、彼の言葉は中高年の共感を得る。
一方、70代の私は中高年よりむしろ若い人の興味の対象になったりする。
同世代から相手にされないはぐれモノなのかも、と浮き沈みに頭がいたい。
しかし、おなじ年回りで無難な話に終始するばかりの日常の言論風景を思えば、
彼の落ち着いた個性は好ましく、こんな時代にこそ有用だと私には思えてならない。
相談ができて安心だし。


1月18日の小集会は、「よかった」「面白かった」という感想もいただいているので、
評判が悪かったわけではないが、私にはいわく言い難い後味がのこった。
企画した側の意図とはまったく別なところで、すごく興味深い進展をした4時間。
自分自身は、これはもう退き時ではないかと、己の軟弱な判断力に疑問をもったし、
集会の方法についても、限界がみえて、構成進行など考えなおしたいと思った。 


このあいだ私にこんなメールが届いた。それを若いふたりに話す。
図書館の先生だった人からのメッセージである。

いつかのあなたの家の討論会で、
フリーターの話題が出たことを、今も時々思い出します。
私の理解は浅く、甘かったなと思います。自分が発言したことの責任を感じます。
これこそ大事なことではないでしょうか。
「発言する」ということによって、その話題と自分が深く結び合わされるのです。
だから、続けてほしいです。

ざっと10年も前のことだ。あの時の彼女の発言は・・・。
「労働」は働く人間を成長させる、そういう側面を持つものだ、という主旨のものだった。
集まりに参加した若者の発言が労働否定論にまで傾いた際の発言である。
同席した私たちの同世代人は、体験に基づく実感があるから深くうなづいたけれど、
若い人たちは無表情無言にちかい反応だった。
あのころからすでに、労働は奴隷労働に、職場は人間性を叩き潰すだけのものに
成り下がってしまっていたことを思えば、無反応という反応も無理はなかった。
それを、時々思い出して、今も彼女は悔いるのだろう。

・・・たしかいきいきとした若いころのアクセルがそこにいて。