2015年2月9日月曜日

ブレヒト劇「セチュアンの善人」


劇団PASSKEY による「セチュアンの善人」を観た。
2/6 武蔵野芸能劇場 である。

中 深乃が出ている。
彼女の娘さんが幼稚園に通っていたころからの知り合い・・・。
ブレヒト劇をよく知らないので、いったい判るのかどうか、面白いと思えるのかどうか。
そういう先入観をもつのは、新劇団に所属していたころの私が、
俳優座のブレヒト芝居を観て、よくわからない 、つまらないと思ったからだ。
この先入観に作者ベルトルト・ブレヒトは関係ないはずだけど。

難しそうだ、わかるかしらとつい構えるけど、
劇はベンキョーして観るもんでもなかろうと、準備なく三鷹駅から1分の劇場へ。

寒い夜、中さんのお母さんと娘さんが来ている。
そのことにまず心が暖かくなった。
2人の心配と愛を、変わらないものとして感じるからだ。
中年になってからの劇活動は、周りから見れば「あがいている」ということで、
本人もたいへん、家族もたいへん、
話にきく劇団の人たちの生活も、パンクなものだと思う。
パンク寸前というか。

「セチュアンの善人 」(1940年ごろの作)を観終わって、
すぐには考えも感想もまとまらなかったけれど、
はっきりわかっていることもあった。
中 深乃がいい!

どこがと聞かれたら、
人物の造形に深みがあり、実在感があった、
「洋品店の店主」は歴代儲け役らしいと、帰宅してあらためて調べたらわかったけれど、
彼女が儲け役に配役されたことも 、立派に儲けたこともうれしかった。
あの群衆劇のなかで、出番とセリフを多く与えられている主役のシェンテに対抗して
小柄でメガネを使用して地味が売り物みたいな役なのに、
中 深乃は騒々しい群衆のなかで、ひとり際立っている。

それはどうしてだろう。
彼女がお母さんゆずりの、本格的な読書人だったことと無関係ではないだろう。
少女のころからの本格的な文学へののめり込みが、
芸を助けたにちがいない。人間理解を深くしたにちがいない。

基本的にして必要不可欠な、創造上の隠れた努力。
努力が実るっていうところがまたいいわよね?