2015年2月7日土曜日

ノートと思い出


18才のころのノートに大河小説からの書き抜きがあった。
生きる方法を本気でさがしていたころ。
大河小説にして青春の書「チボー家の人々」。
たしか6巻ぐらいもあるんじゃなかった?

勉がパン屋の徒弟として働きながら夜間大学に通いはじめて、
どうしても本を読まなきゃダメだと思うが、なにから読めばいいかと 私にたずねた。
昼間働いて、夜、大学に行く彼には、じっくり本を選ぶ余裕がなかった。
私が彼に、さあねえ、お母さんが学生だったころは、
マルタン・デュ・ガールの「チボー家の人々」が学生の聖書みたいなもんだったけどね、
と言うと、その本は今でも本棚にあるんだし、買わないですむし、
「じゃ、それを読むよ」と言ったのである。
彼はこの長い小説をほんとうに読んだ。読書の習慣がなかったのに。
ジャックはこうだとか、今は兄さんのアントワーヌに肩入れしてるんだとか、
第一次世界大戦当時のフランスの社会党と日本の社会党を比較してみたり、
まるで川向うのお屋敷のうわさ話でもするように、チボー家のうわさ話をしながら、
ぽつりぽつりと2年もかけてこの長編を読み終えたのである。
・・・こういう読み方もあるのかとおどろいたものだ。
読書量だけ多い私なんかよりずっといい読み方だと思ったことがなつかしい。


ノートの書き抜きから

写真といっては1枚もない。昔の思い出は何もないのだ。
自由で一人ぼっちで思い出なんかよせつけていない!

そして突然地平に向かってひらかれた一つの路、大きな抜け穴。
即ちできもしないような生活から足を抜き、これを投げ捨て、行き当たりばったりに踏み出し
生きて行くこと!

なにからなにまでやり直す!やり直すためには、なにからなにまで忘れてしまう__
そして人にもわすれさせる!

なんら技巧を用いず、きじ のままでやっていくこと
そして自分が創造するために生まれたという自覚を持つや否や、
自分はこの世で最も重い、最も美しい使命を負わされ、完成すべきおおきな任務を
負わされているのだと考えること、
そうだ! 誠実であること! あらゆることに、あらゆる時に 、いつも誠実であること。

 しかし、そういう僕にしたところで、彼らを愛していたのだった!



山内義雄の翻訳が今ノート越しに読んでもすばらしいと思う。