2015年2月20日金曜日

昨日?


まず朝、8時に飛び上った。
カレンダーを見て、今日って木曜日なのかと愕然、鶴三句会があるじゃないの!
掃除はした、洗濯物は干した。ぜんぶすんだ。 ブログも書いちゃった。
やれやれ珈琲を飲んで少し一息、という時だった。作文をするつもりの一日。
さあ、大変なことになったと思って、先月渡された俳句集を、さがすさがすさがす。
見つからないから、それは打っちゃってお菓子を手提げ袋にあれこれ入れ・・・、
私ってお菓子係りで、会費集め係りで、封筒だの集金用の缶だの。

村井さんから電話がある。すみません欠席いたします、
転んで右手を骨折、予約の病院へ参りますのでとおっしゃる。
おだいじにと、落ち着いた句会担当委員みたいな声で受話器を置いて。
で・・・なんとか俳句集(冬・新年)も見つけて、電気やガスがついていないか確かめ、
管理組合ホールへ。もう常のごとく平野さんがヤカンにお湯をわかして下さっている、
ホッとしてしまう。


句会は10時から12時まで。
今日は各人の俳句の、なんとはなし不透明な「謎」をめぐって喧々諤々。
「 けんけんがくがくですなあ 」と宇田さんが座をひやかしたりして。
木下さんの句、平野さんの句、季語はそれでいいのか、それよりいったい、
これはどういうことを語っているのだろう、イヤイヤこうなんじゃないの という・・・。
温厚、謙遜な三國先生をさしおいて、
「けっきょくのところ、作者の意図するところはこれなんじゃないのかね、ワトソンくん」
というところまで、みんなで推理するから、いよいよもっておかしいのである。
喧々諤々の句はこうだった。

「西が吉」と 娘の声に 笑みこぼれ     木下さん
剪定師 腕が冴えるか 庭の梅        平野さん

 なんで笑みこぼれるのか、「西が吉」と娘が言うと?
「西が吉」とは方角のことではないかと、そこにたどりつくまでに、しばらくかかる。
平野さんの句は平野さんの生活観が見えて、とてもいいと私は思うんだけど、
剪定したのがそんなことをしちゃいけない11月だったということで、
頭がこんぐらかるような植栽談義に突入した。ははは。
剪定ということばと梅の開花の時期がどうしてもズレる、それが問題らしい。
だってそうだったんだからしょうがないじゃないの、ということじゃすまないらしい。
けっこうなるほどと思うから、きいていて退屈はしない。
それぞれの俳句や感想が、みなさんがたの過去の在りようを色濃く反映し、
それが稀有な抑制効果をあげている、ということかもしれませんよね、まあね。
かつて職人だった人は職人らしく、技術者だった人は技術者らしく。
「思ひのまま」」という名の梅の木に集まった雀(すずめ)の集会みたいな光景。

人間が、結構まーじめに生きて、ぶじ老人になった幸せ。
昨今のキナくさい日本の状況はいったいどうだろう。
私たちは世界大戦のあとの70年ばかりを、戦争なしで生活できた奇跡の世代だったのだ。
村井さんの句の境地こそが、平和であるとしみじみ感じる。

書き込みの 多き幸せ 初暦

ところで本日は最後三國さんの俳句に、私たちは文字通り止めを刺されたわけで、
師匠の傑作はみんなの誉れ、パチパチと拍手がおきて句会終了。
雰囲気だとか心もちがステキでしょう?

晩学の 一日生かさむ 小六月

小六月とは冬の小春日和のことですって。
ああ、脱帽するってこういうことなのでしょうね。
すごいな、ふーん、やっぱりすごい、さすがだねーとみんなうれしそうでした。


句会が終了して家に帰る。元気である。
それで、宿題の原稿を書き、航空券の取得方法を調べ、洗濯ものを取り込み、
床にワックスをかけ、晩御飯をあれこれつくり、文章の転送方法を電話で相談。
あしたは朗読の会だからと、夜中ちかくなって台所のステンレスの壁をみがく。
本も読む。「志ん朝の高座」とか「おじいちゃんの休暇」とか。
いいけど、いそがしい。こんなにコマコマと働いたらポンっと死ぬかもという、
私にしては鬼気迫る一日だった。

元気ということかしら。たぶん。そうなのだと思ったほうが無事らしい。