2015年10月23日金曜日

やぶ蚊ぶんぶん


ゴミ収集がふたつ重なる朝は忙しい。
新聞、雑誌、段ボールは玄関先。燃えるゴミは団地のゴミ箱。
私は落葉も袋いっぱい捨てなきゃならない。
それで庭に出て、柿の葉をまたも集める。
小形の団扇ほどもある赤い葉っぱが、病気らしく、くろい点々をつけて、
たくさん散らばっている。

蚊がぶんぶん、やぶ蚊がいっぱい。
このあいだ四軒先の加賀谷さんが庭でなにかの虫にさされて大変なことになった。
放っておくと毒がまわって、もしかしたら脚を切断しなきゃいけない症候群。
医学的処置は万全。大丈夫でよかったんだけど。
詩人まど・みちおさんは、なんと言ってたっけ。

             カ


           ある ひとが
           ふと あるひ
           手にした ほんの
           とある ページを ひらくと
           ある ぎょうの 
           とある かつじを ひとつ
           うえきばちに して
           カよ
           おまえは そこで
           花 になって
           さいている

           そんなに かすかな ところで 
           しんだ じぶんを
           じぶんで とむらって・・・ 

まどさんはおうちのなかでいっぴき、でしょ、そのとき。
じょうだんじゃないわよー、ここのばあい。

     

2015年10月22日木曜日

ごみ部屋の私


強迫神経症にちかいほど、掃除をする私だが、
くたびれてきて夏冬の衣類の入れ替えの時など、
納戸から取り出したなんのかんのにどうも手がつけられず、片付けられず。
ごみなのに捨てられない、何十年も紐で縛ったきりなのに、またしまいそうになる。
そうだ!と、この春、ゴミ袋等を空き部屋にぶちこみ戸を閉めちゃったらアーラ快適。

しかし便利なやり方なんだけど、半年たったらその部屋全体がごみ箱になった。
うーん護美箱っていう字を時々どこかで見るけど。
今日こそ、本日こそ、今こそといくら思っても、疲労感がましちゃって、
もうじき死ぬのにこれはまずいと、秋を迎えたらますます憂鬱になるばかり。

きのう、今日と元気だし、予定もなくて、一部ゴミの収集日だし。
私はさっきからホコリだらけになって、雑紙を袋にいれては紐でしばっている。
亡くなった継母の仕事上の貴重な記録もいっぱいあるけれど、
捨ててしまわないと、私の子どもたちが大変だろうと思う。
彼らはどさどさ、ぶんぶん、私ほどこだわらずに捨てるにちがいない。
それを思えば、いちいち悩むのも馬鹿げていると。
と思う。

コーヒーを入れて飲む。・・・緑茶も飲む。
お昼ごはん。
ハーブティー。
かりんとうなんか。
逃避のタネもつきちゃって。


2015年10月21日水曜日

同窓の会


 文学部のクラスメイトからのメール
「 そうなのですよ、一生の財産なのです!
  たとえ喧嘩しながらも共に友達なのです(笑)
  また会いましょうね 」

私たちの大学の卒業式は、学園紛争のさなかにあって、中止されたのだった。
そのせいか、クラスメイトの幾人かは1966年以来、
毎年一回、冬が近づくと待ち合わせて酒場に行き、旧交をあたためあう習慣、
最初は大学のある高田馬場、それから新宿で、川崎や、目白だったこともある。

なにしろ専攻が教育学。私みたいな興奮型はあんまりいない。
温和でシンの強いタイプが多く、私には彼らがどんな人間なのか見当もつかない。
じぶんは異端だ、嫌われている、と終始ひがんでいたけど、
それでも私はクラス委員になって、クラスの文集を編集したり、遠足に出かけたり、
むりやりクラス討論をしたりした。1964年と1965年である。
まあ不器用な押しつけだったと、いま思い出すとゾッとしてしまう。
和光学園の中学校で生徒会長だった、そこで覚えた民主主義・のようなものを、
基本どおり大学の学級でやってしまったということなのだ。
それは当時からの、私の身についた義務感のなせるワザで、今もあまり変わらない。

全共闘派らしいクラスメイトから議論をふっかけられて、支離滅裂に対抗。
みんなから嫌がられていたのが別のセクトの私でしょ、という始末におえなさ。
卒業のあとも、もうずっと私はそういう気持ちを宿命のごとく抱えていた。

大学にクラスがあったというと、今はみんながビックリするけど、
あのころの文学部にはクラスがあったのである。
ビックリされるとこちらもビックリするほど、それは自然なことだった。

私は3年から編入した教育学専修でクッキリ浮き上がった不幸な存在であったが、
クラス活動をむりにも強行?してしまったおかげで、
何人かの同級生に、素朴ともいえる好意を抱いた。
それはハッキリした感情で、何十年たっても、今でも不思議にそのままだ。
卒業式が潰れるほどの紛争の時代だから、政治的には考え方もちがったが、
同い年のヒトの強い心の持ち方に、青春の自由さで、惹かれてもいたのである。

卒業してから一年に一度、10人ぐらいがなんとか時間をつくって逢う。
その後のみんなの人生がどうなのかも知らないで、目的もなく再会する。
私にしてみれば、自分は「ビンボー・失敗・不安定」、彼らは「順調・出世・安定感」、
もうずっと違和感がつきもので。
そう。年とともに違いは明らかになるばかり。みんなは職業を全うして、
編集者になり、学校長になり、教育委員会委員になり、会社に生きがいを見出して。
私に言わせれば予定通りというか予定調和の人たちなのだ。

私といえば卒業後劇団に入ってイヤになってやめて、結婚して3人の子どもの親になって、
万年失業のような自由業。同窓会に着ていく洋服だって貰いもの。
母親になった時には、「自分で育ててるの?! 」 とびっくり目を見張られた。
神棚にポーンと赤ちゃんを乗っけといて知らん顔、という感じだと言うのである。
離婚すると夫に会ったこともないくせに、私が我儘だから破局にいたった、と誤解な理解。
幼稚園の園長になったら複雑な顔をし、その時は賢くも沈黙していたけど、
職員と対立して辞めたというと、わが意を得たりみたいにニッコリ、
「続かないと思ってたよ、うん」
・・・まあ、そうなのよね。誤解はおたがいさまなんだろうし。
私には判らないけど、兄弟姉妹ってこういう感じなんだろうか。

今回の同窓会には個人的な事情があり私は欠席したが、二次会に来いと
疲れているだろうに、4人が20時から酒場で待っていてくれた。
早稲田のホームカミング・デイは今年が最後だそうで、その日は、
朝も早よからから思い出のセレモニー続き。
それぞれがもうトシで病気もちになって、くたびれはてているというのに。
・・・申し訳なくて、翌朝、メールでありがとうと言ったら、
しばらくたって返ってきたのが冒頭のメールだった。


政府の文学部軽視に私は反対である。
大学のクラス制を無くしてほしくない、ともしみじみ思う。
懐かしくも古風な伝統のうちにこそ、守るべきものがあると思えてならない。
人間の考えと行動は、「一生」の構えで個別にわかろうとするべきだ。
学問を人類の未来のために活かそうとすれば、忍耐のながい時間が必要だ。
それがけっきょく私たちの手元に届く英知というものである。
学問の府が、非情な政府に迎合して合理主義に終始するのでは、
まともで地味な幸福さえ、私たちみんなから奪われてしまう。

人情無くして国家の沈没はふせげないと、切実に思うのである。


2015年10月19日月曜日

ほっとファミリー


ほっとファミリーとは、養育家庭のニックネームで、
むかしふうに言うと里親制度ということになる。

体験発表会(町田市)があって、朗読サークルの仲間のひとりが今回発表した。
作文を書き、声にだして読む練習をして、もう繰り返しくりかえし・・・。
私はとっても愉しみだった。誇りだなんていうとおこがましいけれど、
ぜったい「優れた報告」をすることになる、と確信していた。
なにしろ下書きを書き直して書き直して、彼女は優等生になったみたいにがんばった。
イヤもしかしたらこの人って、もともとは優等生だったのかも。
そうとは知らなかったからオモシロサもうれしさもすごく新鮮、感動だって3倍だ。
里子の親になって9年というから、
報告の中に描かれたこの「ほっとファミリー」について、
朗読サークルの私たちにも、遠目ながらあゝあの時、と様子はわかる。
様子が少しはわかる幸運というものがあるのだと、しみじみ思った。

彼女の夫君は「里親になるのは国民の義務だ」と言い、里親になりたい人だったと
10枚におよぶ報告の最初にKさんは書いている。
世の中には偉い人がいるもんだなと、そうとしか言いようがない非力な私だけど、
彼女の素直で、あるがままの作文には、私たちそれぞれの人生と重なる感もあって、
ホールの座席できく人たちは、みんな、泣いたり笑ったりしながら聞き入っている。
本人としては初めての「演説」であるし、前代未聞の体験で、
流れる顔の汗をハンカチで拭いてもいいかどうかよくわからず、しかし気になってたまらず、
演壇に用意された水は、飲みたくてもペットボトルだけポンとおかれてコップが無いし、
もうそれどころじゃない30分間だったわけで、
「人の顔も様子もまるでわかりませんでした!」

作文をぜんぶ読みおわってお辞儀をして、わーっと笑った笑顔がよくて、
みんなもパチパチと共感し拍手し、そして笑ったのである。


2015年10月17日土曜日

努力・平和の俳句


書き物机の上に始末しかねて置きっぱなしの紙が少しある。
大きな文字が見えるから一枚を手にとると、朗読の発表会のための下書きだった。
みっちゃんが私の家におき忘れていった練習用の手書き。
朗読の発表会は6月29日・・・ああ3か月まえなんて、もうとっくの昔。
彼女はあの日、東京新聞に投稿された平和の俳句を朗読したのだ。

一行でもって書けてしまう俳句が20行、
A4の白い紙のおもてとうらに大きな字で書いてある。
舞台の上でよく見えないとこまると用心したのだろう、
読みやすい、シッカリとした、字だ。
ところどころ単語の下に、私がガミガミ言ったことが、鉛筆で書いてある。
    「かわいく」「70才誇らしげ」「きれいだね~」「よろこび」「「やさしく」「ニコニコ」
    「ニコニコ」「8才のこどもの句」「かなしい」・・・などなどなど。
平和よ。すごんじゃだめよ、フツウなの、演説だめ、平和、ニコニコして、にこにこ。
責任上、私がうるさいので、できないわ~と悲鳴をあげていたが、
みっちゃんのあの日の朗読は、やさしくて、きれいだと、とても評判がよかった。
いわば断固たる平和・の顔だったのであるが。

にこにこが押しつけがましくならず20句 詠むって努力がいるものだけれど、
そういうことはラクラク乗り越えたように見えるのが彼女で。
シッカリした大きな文字も、「すいとんの日」を300号も発行した手が書いたわけで。
だからこそ苦労を感じさせない、うららかで、ふんわりした朗読になるのだ。
「シャボン玉を舞台で吹いてもいいかしら?」
かならずうまくゆかないからね、その場合どうするか対策を考えて吹くならいい、と言うと、
当日、なんとか一つだけシャボン玉は空中に浮かび、と思ったらパチンと消えてしまった。
でもそのはかなさが平和っぽいと好評だったのである。ははは。

東京新聞の「平和の俳句」は二種類の投稿が大河の流れのよう、
「戦争」と「平和」である。
私たちはその中から平和の句ばかりを選んだ。

⑴ 平和ってれんげの首輪むすんだ手
⑵ 憲法や兵士とならず古稀となる
⑶ シャボン玉、平和の形かもしれぬ
⑷ あ、ひこうき、子どもに言える平和かな
⑸ 初節句、一人も殺した、ことがない
⑹ 平和とは、、明日の自分を、おもうこと
⑺ シワシワの、手からもみじの手へ九条
⑻ 乳飲み子は仕草に平和、宿してる
⑼ 虎よりも、すみれのような、国がいい
⑽ 今日もまた、子どもの布団、かけ直す

⑾ たんぽぽの、種ほど生えよ、平和の芽
⑿ へいわとは、おく万円より、いいものだ(8才のこどもの句)
⒀ 身障の、我らまたもや、非国民
⒁ たち止まり、犬と平和の風を、嗅ぐ
⒂ 日溜まりに、猫と私と、白い雲
⒃ へいわとは、ちきゅうもひとも、しなぬこと
⒄ 人の字は、平和へ歩く、姿なり
⒅ 夜勤明け、青葉芳し、ああ平和
⒆ 郵便に、赤紙はなし、春の宵
⒇ 障害の、私の体が、戦争だ

(13)の俳句は発表会のまえにほかのものと差し替えた。
みっちゃん自身がうたった当選句と内容がかぶってしまうからだった。



2015年10月16日金曜日

おすすめのDVD映画


あいもかわらず蔦屋に通って、
DVDを4枚1000円で借りて見ようとするから忙しい。

「それは星のせいじゃない」 アメリカ映画
「イミテーション・ゲーム』 イギリス映画
「ディア・ドクター 」 日本映画
「はじまりのうた」 アメリカ映画
私はよく、どーでもいいような映画を借りてしまうのですが、この4本は好き。

古いところでは「インファナル・アフェア」という中国映画。
今日借りて、あーら見たことがあると思ったが、ハラハラびくびくしながら二度目でも面白くって。


丸善で本を二冊買った。
「他界」 金子兜太
「ソクラテス以前以後」 F・M・コーンフォード
金子兜太とは俳句のひとで、東京新聞「平和の俳句」の選者である。
他界、なんてヘンだと思いながら読んだら、まー細田さんみたいなお方である。
そっくりといってもよいと思う。
ただいま95歳、まだまだ死なないはずだと本人が豪語する頼もしさ。
それで細田家へ持っていった。細田さんにその気になって長生きしてもらわなければ
うちの団地はみんなが困るし。

 
 

2015年10月15日木曜日

ギリシャからの絵葉書


遥がギリシャへ出かけたのだという。
小包が到着。
クレタ島はオランダとちがってまだ暑いほど、バカンスのような感じと、
弟にメールで言ったそうだ。
美しいところで、いつかみんなで一緒に行きたいと思っているって。

小包は少々重たくて、包み紙の裏にオリーブオイルと記述がある。
でもそこには石鹸も入っていて、絵葉書も、それから
蓄音機にとりついて音楽をきく帽子男の、オレンジ色のTシャツも入れられていた。
もちろんオリーブオイルのしゃれた小瓶もあった。
絵葉書。
木目の机の上に青い無地のマグカップ。
その向こうに小説のような茶色の表紙の本が開かれて、
手前のページを柔らかいシーツのように掛けて!女の子が眠っている・・・。

遥の手紙。
『 お母さん、健へ
 ちょっと遅くなってしまったけれど、ギリシャ(クレタ島)に行った時のお土産を
 送ります。お土産だから、たいしたものはないんだけど。
 日本では安保法案が通ったけれど、ギリシャは移民がシリアから押し寄せて
 きていて大変です。経済が破たんしてるのにね。シリア危機の原因であるア
 メリカは知らんぷりで空爆してるし、これから日本がここに手を貸すのかと思う
 と、イヤになるね。けど、ギリシャじたいはのんびりとして、良い所だったけど。
 またね         遥             』


遥へ。

あなたの絵葉書を手にして、持ってあるく・・・。
お母さんの耳の奥で、遠く小さく、
・・・わぁーわぁーと泣き声がすることに、遥の葉書を読んで気がつきました。
毎日のことで忘れたようにしているのだけれど、
にこにこしてくらしているのだけれど、
安保法案不正通過成立以来、いいえ、2011年3月の福島における原子炉爆発以来、
私は毎日泣いているのだと思いました。
私たちの胸のそこのここで。
本当はずーっと。


2015年10月13日火曜日

べつに減るもんじゃないでしょ


バスが遅れたんだか早すぎるんだかわからない時刻に到着。
今日は入口が運転手席のヨコ。
乗ったら叫び声が聞こえる。ふりむけば階段を駆け下りてくる人がいる。
「すみません、乗せてくださーい」と必死。
同じような経験をもつ人は何人もいるだろう。
バス停留所でバスを待つと、乗客同士いつもその話だ。
時間に遅れてくる割に待ってくれないという愚痴である。

私は料金箱のそばにいたから、運転手さんにお願いした。
「すみません、あの人がくるので、ちょっと待ってあげてください」
男のヒトがくるまでに10秒とかからなかった。
彼はあやまりあやまり、ステップを上った。
それなのに運転手は無表情、いかにも不満げ。にっこりしたらどうでしょう。
べつに減るもんじゃなし。
安心したので私は座席にむかって歩いて行こうとした。
乗客がみんな・・・仏頂面。
夫のため、または親戚すじの伯父さんのためにバスを待たせた、と思われたのかしら?
そんなことじゃないはずだ、いい人そうだもの、どの人もみんな。
私達ってすごく努力しないと、意味もなく無表情になってしまう。
「よかったですね、運転手さんが停まってくれて」
そういう顔をなんとかしてみせたいものじゃんか、と思う。
私に、または、せめて無事に乗れたおじさんに。

京王線に乗って桜上水で降りたら、清掃夫がおおきな機械を動かしている。
ガタイの大きい人が、世にも不機嫌そうなイヤでたまらない顔つき。
鏡の前に引っ張っていって、「自分のツラをみて考えろ」と桜上水の駅長なら言うべきだ。
私としては、のんびりした、仕事が見つかってちょっとよかった、みたいな顔を見たい。
うれしい仕事でもなく、よかったと思えるほどの賃金なんか受けとっていないにもせよ、
無関係の乗降客に八つ当たりは、その人の人間としての沽券にかかわるように思う。
低賃金で図々しく人間を働かせるな。本当にそうだ。
でも、やっぱり個人的なやりくりの部分について考えてほしい。
ヒトの表情や態度もまた、光景のうちなのである。

と書いてるうちに、
いつも憤慨するんだけど、うちにもどるとスッカリ忘れてしまうことを思い出した。
三多摩各地にばらまかれているインプラント歯科のばかデカい広告のことだ。
あんなに美観をそこなう広告って、めずらしいんじゃないか。
桃色の大きくあけっぱなされた歯なしの口腔。ニセモノっぽい術後の整然とした歯並び。
なにがイヤかって、剥き出された二枚セットの「巨大な桃色の口腔」が不快である。
あれはなんとかしてほしいと大勢の三多摩人が思っている 。
広告としても逆効果だろう。
手術を1000組だか2000組だかにほどこしたと看板で読むけど・・・、
多摩関連のたださえ不自然な景観にこれ以上のダメージを与えないでもらいたい。
掲げる場所を提供する人にも、
受け取るおカネ以外の「空間責任」についてぜひ考えてほしいと思うのである。


今日はそういえば午前中は歯医者さんに出かけたのだった。
治療の合間に、壁に掛けられた北川民次の静物画をなんとなくながめる。
本物。額がすごく上等なのがうらやましい。額ってたかいから。
・・・バナナ、林檎、柿、それから枇杷の実。
あらー、うちの庭の柿の木が元気で幸福だったころの色がぜんぶある、と思う。



満天の星


早朝4時半に目がさめて外にでると、ひさしぶりに星が輝いている。
冬が近づいて、冷たく澄んだ夜空に満天の星だ。
ふうっと、きのうの友人の面影がうかぶ。
いろいろな話・・・そう、たえまない鬱的な気持ちを、なぐさめられた・・・。

ふたりして日本舞踊の発表会へ行ったのだった。

鶴三会の永瀬さんが「 都鳥 」を踊るのを拝見。
私たちの団地の人がほかにもきている、そうじゃない人も何人もいるようで、
永瀬さんのお付き合いの広さに感心する。
さもあらんという・・・、永瀬さんって感じがよい。
懐かしいような温和さで、話ぶりが下町風だから親しみやすいしそれでいて目立たない。
ひとの重荷に決してならない佇まいが、私などには羨ましい。

夫君が亡くなって、鶴三会に入って。
鶴三俳句会も「やめたいやめたい、といつも思うんだけど」
聞くとそうおっしゃるけれど、努力を続けて、句集をみると一生懸命でかわいらしい。
私がなにかすると、お菓子をもって、だれかを誘って来てくれる。
電車でいっしょになったりすると、その日もおっとりと着物姿だったり。
なんでも銀座で「着物で逢いましょう会」があって、とはずかしそうに笑ったりして。
たまたま道で逢ったりすると、うれしくなるお人柄である。

幕が上がると、舞台中央にかがやくような水色の着物すがた。

たよりくるふねの内こそゆかしけれ・・・おうらいのひとに名のみとわれて
花のかげ・・・水にうかれておもしろや・・・
いかにも永瀬さんの風情にあった長唄であると感じ入った。


今年は、いやここ数年、我が家の柿の葉に異変が起こっている。
かつて平和だったときには、この柿の木は秋にはクリスマスツリーのようだった。
いちどきに、黄色、オレンジ色、赤、緑の色彩の美を謳歌する木であった。
今年は緑の葉と深紅と。それだけでどす黒くなって地面に落ちてしまう。
私の家のならびの人は、ここは造成した際、下層部に瓦礫を埋めたから、
何年かたつと樹木は枯れてしまうんですよ、という。
お隣の蜜柑の木、向こうの家の大きなミモザ、
そういえば私の家では桜上水から運んだ山椒の木が枯れた。
柿の木もそうなるのかしら。
むかしここに住んでいた子どもが、干し柿のタネを埋めて、
それが大木?になったというのに。


2015年10月9日金曜日

秋明菊ゆらゆら


秋明菊はキンポウゲのなかまだという

そうきいてうれしい
ちいさい時から本を読むと
本のページの野はらや主人公があるいていく道に
キンポウゲがよくゆらゆらしていたもので
きんぽうげ、キンポウゲ
キンポウゲって、黄色い花だけど、
私の頭のなかだと
しろいマーガレットの芯のところほどの大きさで、
ポンポンダリアのようなかたちの
小さい、小さい花なのだ

植物図鑑をひらけばよかったのに、
キンポウゲを私はこの年までほうりっぱなし
黄色の花とおもったのは、
作者がいろいろにそんなことを書いて描いたのだろう
ひらがなでキンポウゲはきんいろ、とか。
絵本の野はらは、淡くキンポウゲいろに黄色かったのだろう
青いそらはワスレナグサ色で、白い雲はくっきり、草はみどり
キンポウゲは麦わら帽子といっしょにいつも幸せ
さあ、それでいてワルイ魔法使いの庭にも咲いていたりして。

うちのしゅうめいぎくは
柿の木といっしょに、昔ここに住んでいた家族のうれしい置き土産
ひっこしてきて、しばらくはいじけていたけど
どうおもったのかだんだん元気をだして
右から左へ、レンガのあいだをまっすぐによこぎって
毎年、どんどん東へ東へと白い花が一列の行進
風に花がいっぱい音もなくゆれると、うちではそれが秋である


秋明菊はキクというけど菊じゃなく、アネモネの仲間でキンポウゲ科
そんな感じの、はかない色して、丈夫なおかしな花なのである・・・



2015年10月7日水曜日

辺見庸さんのブログ・考


辺見庸さんがブログで、
シールズと国会デモの在り方をムチャクチャに批判していると聞いて、
パソコンを開き、ブログを探して読んでみた。
ショックだった。尊敬していたから。

尊敬ってどういう時につかう言葉だろうか。
なにか、自分の考えだけではとても判断できないことが起こった時に、
この人ならどう考えるのか知りたい、意見をきいてみたい、そう思うことかしら。
学びたい、影響されたいという自然な思いと意思。私の場合は。

2011年3月11日。大地震と見たこともない規模の津波。そして福島の原発の爆発。
その直後のたしか日曜日、頭がマッシロ状態になった私は大船の講演会に出かけた。
大江健三郎、なだいなだ、内橋克人の三氏が「とっさにどう考えるのか」聞きたくて。
「故・井上ひさしさんをしのぶ会」が予定通り開かれたのがさいわいだった。


さて、辺見さんのブログであるが、
私が読んだ文章はしばらく掲載されて、それから削除され、今は見ることができない。
だから正確に再現して云々、ということは不可能だ。
二度と読みたくないと思ったからコピーもしなかったし。

① 辺見庸のブログがなにものかに乗っ取られたという説。
② 本人が書いたものだという説。
インターネットが「乗っ取り」「なりすまし」可能な場所だということは周知の事実だという。
すぐ削除すればいいのにと思ったけど、のっとられたら削除できないという話もある。

辺見さんという人を考えるに、
この罵詈雑言が「乗っ取った者」による行為ならば、
辺見さんは記者会見をひらき即座に否定・反撃したはずである。
それとも辺見さんは、記者会見をすることもできないほどの病気なのだろうか。

ブログの文章は、デモに参加した老若男女をやっつけ、シールズの不見識を攻撃し、
大江健三郎氏を罵り、デモ参加者の老人たち(私も勿論その中に入ってしまう)の、
身体や頭脳の欠点まであげつらって軽蔑し、 ヘイトスピーチもかくやとばかり。
この文章を読んで大喜びするのはそれこそ辺見さんが嫌悪する「安倍閣下」じゃないの。

憂鬱な時間がどんどんたって、私はいま、こう考える。
自分自身の考え方をどうしても新しくする必要がある、と。
なぜなら真実と嘘のごちゃまぜが、私たちの「国」日本のいかにも質のわるい混乱が、
来年の選挙までに、あらゆる形であふれ返るだろうから。

私自身の問題でいえば、だれが書いた文章であれ、気になってたまらなければ、
経緯(こみいったいきさつ)をまず身の回りの人たちと話あってみようと思う。
できるだけ知っている人ぜんぶと。私の友人たち、家族、息子の友達、
デマゴギ―(政治的効果をねらって流される悪宣伝)に負けまいとすればそれだと思う。

ものごとには、作られた部分と自然な部分と、ふたつの側面がある。
人間は、その両面を考えることができる。だからこれからは困ったら複数で考えたい。
私が考えたのは、、けっきょくそういうことだった。
みんなと話ているうちに浮かび上がる結論は、活字よりもずっと人間的である。

ブログを書いたのが辺見さんだとして、もしもそれが本当なら私は哀しいが・・・、
キモに銘じようとして、自分ひとりで結論を考えたことがよいことだ。
老いを避けることは誰もできない。
肉体とともに頭脳が崩壊していく自分を、叱咤激励して生きていたいとねがう。
家族と友人たちと横並びになって、素朴にゆるやかに思考の「最初の一歩」を歩くのだ。

・・・