2015年10月17日土曜日

努力・平和の俳句


書き物机の上に始末しかねて置きっぱなしの紙が少しある。
大きな文字が見えるから一枚を手にとると、朗読の発表会のための下書きだった。
みっちゃんが私の家におき忘れていった練習用の手書き。
朗読の発表会は6月29日・・・ああ3か月まえなんて、もうとっくの昔。
彼女はあの日、東京新聞に投稿された平和の俳句を朗読したのだ。

一行でもって書けてしまう俳句が20行、
A4の白い紙のおもてとうらに大きな字で書いてある。
舞台の上でよく見えないとこまると用心したのだろう、
読みやすい、シッカリとした、字だ。
ところどころ単語の下に、私がガミガミ言ったことが、鉛筆で書いてある。
    「かわいく」「70才誇らしげ」「きれいだね~」「よろこび」「「やさしく」「ニコニコ」
    「ニコニコ」「8才のこどもの句」「かなしい」・・・などなどなど。
平和よ。すごんじゃだめよ、フツウなの、演説だめ、平和、ニコニコして、にこにこ。
責任上、私がうるさいので、できないわ~と悲鳴をあげていたが、
みっちゃんのあの日の朗読は、やさしくて、きれいだと、とても評判がよかった。
いわば断固たる平和・の顔だったのであるが。

にこにこが押しつけがましくならず20句 詠むって努力がいるものだけれど、
そういうことはラクラク乗り越えたように見えるのが彼女で。
シッカリした大きな文字も、「すいとんの日」を300号も発行した手が書いたわけで。
だからこそ苦労を感じさせない、うららかで、ふんわりした朗読になるのだ。
「シャボン玉を舞台で吹いてもいいかしら?」
かならずうまくゆかないからね、その場合どうするか対策を考えて吹くならいい、と言うと、
当日、なんとか一つだけシャボン玉は空中に浮かび、と思ったらパチンと消えてしまった。
でもそのはかなさが平和っぽいと好評だったのである。ははは。

東京新聞の「平和の俳句」は二種類の投稿が大河の流れのよう、
「戦争」と「平和」である。
私たちはその中から平和の句ばかりを選んだ。

⑴ 平和ってれんげの首輪むすんだ手
⑵ 憲法や兵士とならず古稀となる
⑶ シャボン玉、平和の形かもしれぬ
⑷ あ、ひこうき、子どもに言える平和かな
⑸ 初節句、一人も殺した、ことがない
⑹ 平和とは、、明日の自分を、おもうこと
⑺ シワシワの、手からもみじの手へ九条
⑻ 乳飲み子は仕草に平和、宿してる
⑼ 虎よりも、すみれのような、国がいい
⑽ 今日もまた、子どもの布団、かけ直す

⑾ たんぽぽの、種ほど生えよ、平和の芽
⑿ へいわとは、おく万円より、いいものだ(8才のこどもの句)
⒀ 身障の、我らまたもや、非国民
⒁ たち止まり、犬と平和の風を、嗅ぐ
⒂ 日溜まりに、猫と私と、白い雲
⒃ へいわとは、ちきゅうもひとも、しなぬこと
⒄ 人の字は、平和へ歩く、姿なり
⒅ 夜勤明け、青葉芳し、ああ平和
⒆ 郵便に、赤紙はなし、春の宵
⒇ 障害の、私の体が、戦争だ

(13)の俳句は発表会のまえにほかのものと差し替えた。
みっちゃん自身がうたった当選句と内容がかぶってしまうからだった。