2015年10月13日火曜日

べつに減るもんじゃないでしょ


バスが遅れたんだか早すぎるんだかわからない時刻に到着。
今日は入口が運転手席のヨコ。
乗ったら叫び声が聞こえる。ふりむけば階段を駆け下りてくる人がいる。
「すみません、乗せてくださーい」と必死。
同じような経験をもつ人は何人もいるだろう。
バス停留所でバスを待つと、乗客同士いつもその話だ。
時間に遅れてくる割に待ってくれないという愚痴である。

私は料金箱のそばにいたから、運転手さんにお願いした。
「すみません、あの人がくるので、ちょっと待ってあげてください」
男のヒトがくるまでに10秒とかからなかった。
彼はあやまりあやまり、ステップを上った。
それなのに運転手は無表情、いかにも不満げ。にっこりしたらどうでしょう。
べつに減るもんじゃなし。
安心したので私は座席にむかって歩いて行こうとした。
乗客がみんな・・・仏頂面。
夫のため、または親戚すじの伯父さんのためにバスを待たせた、と思われたのかしら?
そんなことじゃないはずだ、いい人そうだもの、どの人もみんな。
私達ってすごく努力しないと、意味もなく無表情になってしまう。
「よかったですね、運転手さんが停まってくれて」
そういう顔をなんとかしてみせたいものじゃんか、と思う。
私に、または、せめて無事に乗れたおじさんに。

京王線に乗って桜上水で降りたら、清掃夫がおおきな機械を動かしている。
ガタイの大きい人が、世にも不機嫌そうなイヤでたまらない顔つき。
鏡の前に引っ張っていって、「自分のツラをみて考えろ」と桜上水の駅長なら言うべきだ。
私としては、のんびりした、仕事が見つかってちょっとよかった、みたいな顔を見たい。
うれしい仕事でもなく、よかったと思えるほどの賃金なんか受けとっていないにもせよ、
無関係の乗降客に八つ当たりは、その人の人間としての沽券にかかわるように思う。
低賃金で図々しく人間を働かせるな。本当にそうだ。
でも、やっぱり個人的なやりくりの部分について考えてほしい。
ヒトの表情や態度もまた、光景のうちなのである。

と書いてるうちに、
いつも憤慨するんだけど、うちにもどるとスッカリ忘れてしまうことを思い出した。
三多摩各地にばらまかれているインプラント歯科のばかデカい広告のことだ。
あんなに美観をそこなう広告って、めずらしいんじゃないか。
桃色の大きくあけっぱなされた歯なしの口腔。ニセモノっぽい術後の整然とした歯並び。
なにがイヤかって、剥き出された二枚セットの「巨大な桃色の口腔」が不快である。
あれはなんとかしてほしいと大勢の三多摩人が思っている 。
広告としても逆効果だろう。
手術を1000組だか2000組だかにほどこしたと看板で読むけど・・・、
多摩関連のたださえ不自然な景観にこれ以上のダメージを与えないでもらいたい。
掲げる場所を提供する人にも、
受け取るおカネ以外の「空間責任」についてぜひ考えてほしいと思うのである。


今日はそういえば午前中は歯医者さんに出かけたのだった。
治療の合間に、壁に掛けられた北川民次の静物画をなんとなくながめる。
本物。額がすごく上等なのがうらやましい。額ってたかいから。
・・・バナナ、林檎、柿、それから枇杷の実。
あらー、うちの庭の柿の木が元気で幸福だったころの色がぜんぶある、と思う。