2017年9月26日火曜日

彼方


階段の踊り場に、ありあわせの額に入れた絵がかざってある。
幼稚園の、教室にいられない子が、職員室の机で描いた絵だ。
覚えているが、その日は魚類図鑑が気に入って、色画用紙に3枚も4枚も、
図鑑のなかの魚を、いろいろ、するすると描いた。
あんまり素敵なので、むりな気がしたけれど、つい、たのんだ。
「わるいけど、この絵、私に一枚もらえないかしら、だめ?」
カナタは、そういう名前なんだけど、しばらく思案してから、
うん、いいよ、といった。どれがいいの?
あの時、なにを考えてまよったのだろうかとよく思う。
落ち着いて、考え深いあの男の子は。

手をさしだすと、素直に手をつなぐ。
ふたりで、あてもなく教室から教室へ、居場所がないとホールへ。
ホールではたったひとり、広い場所にぶちまけたおもちゃで遊んでいる。
遊んでいる彼をながめて、じっと待つばかりだった。
時間がくるまで。あるいは彼が飽きるまで。私には彼方と話す能力がなくて。

色画用紙の抹茶色のみどりに、5才児の曲がっておおきい平仮名、かなた。
ちぎれたような署名がなつかしい。
魚のほうは、魚類図鑑かららくらく写されて、俳画のように渋いのに。