2011年12月4日日曜日

わたしが見た美術教育 甲府


最初、甲府へでかけたのは、石部紀子さんにお会いするためだった。
大学時代の友人が、とてもよい美術教育をする人がいる、と案内してくれたのである。
甲府の、歴史のふるいその幼稚園をたずねると、
職員用多目的ホールみたいな場所に、石部さんの大きな絵が懸けられてあった。
やわらかなタッチの、あかるくて、心のひろそうな、自然な・・・・。
美術を担当する専門家として、石部さんは大事にされ、ところを得ているのだ。
それはとても印象的で、気持ちのよい光景であった。

二度目、私は職員をつれて石部さんの美術教育を見学しに出かけた。
進徳幼稚園では、私たちのために、石部さんの美術の全体がよくわかるように、
年少、年中、年長の時間割りを一日に組んでくれていた。
思い出すと、そのたびにうれしい。
教育にかける情熱が、まっすぐ鮮やかに表現されて、けちなところが微塵もないのだ。

さて。
進徳幼稚園の美術の時間のどんなことも、私には新鮮だったけれど、
5才児のクラスで見たことを、伝えたい。
石部さんは小柄で、疲れたような、いかにも主婦らしい人だけれど、
なんだかとても、すばらしかった。
彼女はまずはじめに、子どもたちに、これからなにをするのか説明する。
「みんなはもうじき小学生になるので、今日は筆の使い方をおぼえましょう」
つかう道具もはっきり、道具のつかい方もはっきり。
学校に行ってもこまらないように。
ごたごたしない。複雑にしない。単純なことだと、子どもに思わせるのだ。

子どもの道具の準備がおわると、そこからが芸術である。
そこからが、石部紀子、だ。
「今日、先生は、みんなに地球の色を描いてもらおうと思います」
地球ですって!
地球という私たちが住む惑星のかたち、それは地球儀でわかる。
そこに人間は住んでる。私たち日本人はここに、そしてみんなはいま甲府にいる。
石部さんが保育の小道具として用意した地球儀であるが・・・・。、
それは、めったにないほど繊細で美しかった。文房具であって芸術のような。
しかし、それも単純明快な説明で終わり、いよいよ本題の地球の色である。

「あのね、幼稚園にくる道でね、先生も地球の色を集めてきました。」
石部先生が子どもに見せた最初の地球の色は、あざやかな深紅の落ち葉であり、
「みんなも 《地球の色》 をたくさん知っているでしょう?」と石部さんは言うのだ。
このあいだ描いたけど大根、畑で掘ってきたでしょうさつまいも。
ピーマン、ねぎ、きゃべつ、みかん、犬、牛、トマト、人間も。
それみんな、地球の色なのかー。私は、おどろいちゃった。。
子ども達は、せっかちな子はせっかちに、ゆっくりな子はゆっくり、
《地球の色》を、自分が歩いた世界を振り返りながら、見つけていく。
子どもが、注意ぶかく幼い足どりで歩いてゆく世界は、
そうしてみると、なんて可愛らしく、いきいきとして美しいのだろう。

「さあ、それじゃ、これから自分が見つけた《地球の色》を描いてみて!」

紙は子どもが描きやすいような大きさ。
筆はきまっている。
水は必要に応じて自由に汲みに行っていい。
ポスターカラーが前の方に何色も並んでいる。
自分の地球の色にするには、色をまぜてもいいのだ。
深みにおいて万物を知り、そこに踏み込んでいく。
地球の色って、描けちゃうでしょうね。みんなの数だけいろいろと?