2011年12月25日日曜日

映画 BIUTIFUL


「BIUTIFUL」
2010年 イニャリトゥ監督。メキシコ、スペイン。

映画を観て何日かが過ぎた。
映画館では感想というものを持つことができなかった。
宗教に無縁なせいか私などはただもう、
画面からあたえられる「世界」をウ呑みにしてしまう。
あふれんばかりの悲惨、苦悩、無力、汚濁、孤独、無能力に見入って逃げられない。
やりきれないのに途中放棄など考えられない。
緊迫感のある映像とキャスティングによって、興味がかきたてられ、
大都会に生きる人々の餓えの恐怖、瀕死の生活にわが身を重ね、
これからいったいどうなるのか、主人公とともに苦しんで絶望するしか。

貧富の差は警察の出現であきらかになる。
警察が介入する時、
貧しい方は必死の動作で逃げまどい、
富めるほうはよけながら見物してしまう、旅行者のように。

スペインのバルセロナ。末期癌で余命二ヶ月と宣告された男。
彼には別れた妻がいる。躁鬱病に呑みこまれた女。
二人の子どもをこの妻からムリに引き離して、彼がくらす大都会。
死者のことばをききとる霊能者ウスバルの生業(なりわい)は、
移民の職業斡旋、まご請けの口入屋である。
彼のみょうな優しさ、彼の枯れることのない愛、彼の手遅れな後悔、
彼の際限のない受容。ちぐはぐな苦しみに満ちた怒り。そして無力の果ての死。

映画は若い、清潔な印象の若い男と、
すばらしく美しい微笑を見せる中年の主人公ウスバルの出会いからスタート、
長時間をかけて現代バルセロナをめぐり、最初の出会いに還っておわる。
男はウスバルが現実では逢わなかった、20歳で死んだ父であり、
父と子は、死の瞬間、いわば精霊の世界でしか交差できはしないので、
したがってこの映画は、
父とはなにか命とはなにか、という人間存在を問うことになる。

しかもウスバルという瀕死の、半端そのものの男を、
驚くべき容貌の俳優が演じているので、
観客はこの映画から二重の暗示を与えられることになる。
ハビエル・バルデムはこの作品で、
カンヌ映画祭主演男優賞、アカデミー主演男優賞に輝いたというが、
最初のワンシーンで、これからその全容を知ることになる悲惨な現代世界へと、
観客を、引きずり込んでしまった。
このキャスティングには驚嘆すべきものがある。

バルデムという俳優は美貌だろうか。
なみならぬ人間そのものの美貌である。
ハビエル・バルデムはルオーのキリスト像のような容貌をしている。

お定まりの垢じみた上下のスポーツ着で、このキリストの顔をもったバルデムは、
大都市バルセロナを右往左往、アフリカ人を強制送還させ中国人を大量死させ、
無力にもそういう破目になってしまう男の、複雑きわまりない悲嘆を演じる。
もしもバルデムという俳優の、仮面といいたいほどの容貌を盾にしなかったならば、
この映画は単なる記録でしかなくなったろう。

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の力量を讃えたい。
ただもうそれだけしか、映画館の椅子の上では。
自分は旅行者のように、よけながら見物、という人生を送ってしまったのだと
それが本当に恥ずかしく思われた。