2011年12月26日月曜日

自己肯定感について


A さんへ。

年の暮れは忙しいのでしょうに、お手紙をありがとう。
ブログを読んでくださって、とてもうれしくて。
あなたはむかし、「しゃべらない男の子」だったのですって?
そんな感じはいまも残っていて、その女の子がお母さんになって
赤ちゃんを抱っこしているなんてと、微笑ましいです。
リソースルームであの子とすごした一時間ちょっと。
「ぼくの家、難しいパズルがいっぱいあるよ」
ポツリと彼が言いましたっけ。子どもらしい高い声でした。
でも彼はつぎつぎパズルをこなしながら、黙ってもいたのです。
だから、私も、思うことをあの子に言えました。
「あなたは本当にかしこいヒトなのね」
それが、ちゃんと伝えたかった、私の思うことでした。
機会もなくて、あの子と私はそれ以上親しくなることはなかったけれど、
自分は本当は賢い人間であると、苦しいとき彼が考えるかもしれない、
だってそれはホントウなんだから。時々そう思います。
よい思い出です。

似たようなことでお話しをしたいのは「自己肯定感」についてです。
お手紙に、そのことを考えたらドキッとして、急に不安になったとありました。
自分らしさや自信は、家庭ではぐまれた「自己肯定感」の上に育つという、
なにかこう理路整然みたいなホラ話に、あなたみたいな人まで
ヒョロヒョロひっかかってしまうなんて、どうしたのでしょうか。
「自分らしさ」「自信」「自己肯定感」。
一生かかってもつかまえられないウナギみたいなシロモノだと思いませんか?
それともですよ。
自己肯定感って、常時手ごたえあって当然の、人間建築の土台ですか?
それで、親とか教師だとかが建造責任をとるのですか?
本人の許可なしに? 工期を指定して? 
人間は、どこどこまでも人間で、コンクリートじゃないのです。
あなたは私がシッカリ教えたら、一年間でシッカリ自己肯定感をもてますか?
そんなばかな。

むかし、あなたはずーっと黙っていた。小さかったのに。
それは、幼いあなたが自己を肯定し、周囲を否定したからです。
そういうことができる子ども、強くて賢い子どもだったからです。
あなたの子どもは、黙りこくるかわりに、あなたに言いました。
「おかあさんになりたくないな。だって いそがしくて こどもとあそべないでしょ」
子どもと遊ぶことがヒトの最大の希望だと信じて疑わない、幸福なことば。
ひらがなで書いてみると、のーんびりしたひびきの。
あなたのお子さんは、子どもである自分を100パーセント肯定している。
あなたの子育てがとてもよかったので、はっきり不満をことばにできるのです。

「自己肯定感」という単語と、「環境不備」「児童不満」という単語をごっちゃにして、
ありもしない罪を引き受けてはいけません。
混乱をさけ、論理的にべつべつの道筋で考えてもらわなくては。
自己を肯定している子どもは、泣いたりわめいたり、自己表現もいろいろです。
自分がダメだと思いこんでいる子は、とりつくろってばっかりです。
身におぼえがあるでしょう?
ですから、自己肯定感という見たこともないシロモノに関するかぎり、
子どもからいろいろ文句を言われるあなたは、とりあえず安心してよいでしょう。
しかし文句の内容については、まあ謙虚に検討吟味して・・・・・。
きける話と、がまんしてもらう話があるのは当然です。

この人生は、3・11以後とくに、子どもが考えるほど簡単なものじゃないのです。
お母さんが小さいあなたのために戦うならば、子どものがまんだってだいじです。
いただいたお手紙みたいに私の手紙も長くなりました。
そう、冬休みをつかって、こころゆくまでいっしょに外を歩いてあげてください。
よいお年をね。