2011年12月31日土曜日

よいお年を!


1931年のことである。リンドバーグ夫妻は空路東洋へとむかい、遭難し、
千島列島の海辺の葦の中から救出された。
当時チャールズ・リンドバーグは、世界初の大西洋横断、単独無着陸飛行(1927)
の達成による、世界的ヒーローであった。
リンドバーグ夫妻は、東京で熱烈な歓迎を受ける・・・。

須賀敦子著。「遠い朝の本たち」 ちくま文庫刊。
須賀さんの精神と文章は、めったにないような感動を読む人に運ぶが、
いまの私には、13才の少女だった須賀さんが手にとった『小国民全集』の、
アン・リンドバーグの遭難に関するエッセイが印象ぶかい。
以下、「遠い朝の本たち」から、ほんの一部を引用してみよう。


(前略) 横浜から出発するというとき、アン・リンドバーグは横浜の埠頭をぎっしり
埋める見送りの人たちが口々に甲高く叫ぶ、さようなら、という言葉の意味を知って、
あたらしい感動につつまれる。

《 サヨウナラ、とこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、
もともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとそのとき私は教え
られた。「そうならねばならにのなら」なんという美しいあきらめの表現
だろう。西洋の伝統のなかでは、多かれ少なかれ、神が別れの周辺に
いて人々をまもっている。英語のグッドバイは、神がなんじとともにあれ
だろうし、フランス語のアディユも、神のみもとでの再会を期している。
それなのに、この国の人々は、別れにのぞんで、そうならねばならぬの
なら、とあきらめの言葉を口にするのだ。 》
(後略) 」    


一生という感覚は、
たとえそれが子どもの考えることであっても、
重みがあり長く感じられるものだと思うけれど、
われにもあらず、
さようならと、一生こう繰り返したということに、
いま、私は衝撃のようなものを感じている。
生れたときから自分は、呪文のようにくりかえしたのか・・・・・。
「そうならねばならぬのなら」
「そうならねばならぬのなら」

さわやからしく言うなら、べつの表現で、
花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ。
あーあ、ずっとこれでやっちゃったさ、なにも自分のせいじゃないと思うけど。
左様なら。
ああ、この日本人である私の、自分でもナットクできない傾向、感覚、感情は、
いまや、永遠の苦労をまねく呪文のようなものだ。
言語は人間の代理をする。
さようならという言葉は、ほんとうはもう、私たちの言葉じゃないにちがいない。

元気でね。
モトになる自分自身の勇気、激しい気性、陽気、粘り気、「気」こそがだいじ。
これならどうかなーと思うまに、時が2011年を越えはじめる。
こんなに、いろいろあったのに。
よいお年を!
健康でね。気をつけて。またちかくお会いできますように。